四万(しま)温泉は、群馬県の北西部、三国山脈から流れる四万川に沿って湧く標高およそ700mの山間の温泉地。
開湯伝説は、二説あり、ひとつは平安時代、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、蝦夷征伐(桓武天皇737〜806年の頃)に来たこの地で、温泉を発見したというもの。
もうひとつは、永延3年(989年)に源頼光の家臣の四天王のひとり、日向守碓氷貞光が、越後から上野国に移動の折りこの四万の地に訪れて、夜もすがら読経をした時に、夢枕に「四万の病を治す霊泉」を教えられたという。それが「四万温泉」の名前の由来と言われている。その時の湯は「御夢想の湯」と呼ばれ、現在でも共同浴場として生き続けている。
四万温泉に最初に湯宿を開いたのは、田村甚五郎清正。戦国時代の永禄6年(1563年)、天然の要害・岩櫃(いわびつ)城が武田信玄の家臣・真田幸隆(昌幸の父)に攻められて落城。城主の斎藤氏は越後へ撤退した。それを助けて四万に留まり、追手を防いだのが家臣の田村甚五郎だった。
その後、甚五郎は越後へ向かわず、そのまま帰農して四万・山口の地に湯宿を開いたという。
その子孫が「四万やまぐち館」「三木屋旅館」「四万たむら」そして「鍾寿館」と言われている。
明治23年(1890年)、山口の大火により多くの資料が焼失しまったが、明治40年(1907年)に「鍾寿館」という屋号をもって専業旅館として開業した。
四万温泉は5つの地区に分かれている。奥から言うと、日向見、ゆずりは、新湯(あらゆ)、山口、温泉口とあるが、「鍾寿館」はその四万温泉の発祥地に当たる山口地区にある。
この温泉地は、高村光太郎、太宰治、斎藤茂吉、井伏鱒二など多くの文人に愛され、今でも長閑で静かな街並みを残している。4ヶ所の共同浴場と3ヶ所の飲泉所、1ヶ所の足湯をまわる外湯めぐりも楽しめる。
平地がそれほど多くないこの地は、大規模な温泉旅館を建てるのは難しく、現在でも大型旅館と言えるのは3〜4軒ほどしかない。
群馬県の4大温泉地(他に草津温泉、伊香保温泉、水上温泉)と言われながらも、四万温泉は小規模な温泉宿が多い(旅館数も約40軒)。
そんな四万温泉の典型的な宿が「鍾寿館」とも言えるだろう。
客室数は現在20室。自家源泉「常盤之湯」「塩之湯」の2本所有する、源泉かけ流しにこだわる本格的な温泉旅館。
2つの自家源泉は、どちらも敷地内にあり、しかも温泉としては理想的な"自然湧出"により、2本合わせて毎分200リットルもの豊富な湯量を持つ。
全国の温泉地でよくあるような、地下奥深くボーリング(掘削)して、ポンプを使ってお湯を無理やり地表に出すような温泉ではないのだ。
四万温泉の泉質が全国的に見ても優れていると言われているのは、この"自然湧出"にこだわっている点にある。
泉質は2つとも「ナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉」(中性低張性高温泉)。
「常盤之湯」(pH7.53/泉温58.3℃/湧出量・毎分40リットル)、
「塩之湯」(pH6.9/泉温60.4℃/湧出量・毎分160リットル)・・・と泉質はほぼ変わらないが、保湿成分のもと、メタケイ酸が温泉1kg中に106〜109mgと多く含むため、美肌の湯の条件も満たしている。
神経痛、筋肉痛、関節痛、慢性消化器疾患、痔疾、冷え性、慢性婦人病・・・が主な効能だ。
そして、この宿のキャッチコピーは「木づくりの宿」。
実は「鍾寿館」の敷地は、いわゆる泉源地帯なのだ。鉄筋の大型旅館を建てるには、地下奥深く基礎工事を行わなければならない。
しかし、この宿の温泉は、全国各地の温泉地では当たり前の、ボーリング(掘削)して、ポンプアップしてお湯を汲み上げるものではない。
一番良いとされる、温泉が地表に出てくる"自然湧出"の温泉なのだ。
だからこそ、地下深い基礎工事がいらない、木造建築に頼らざるを得ないのだ。これでこの宿のキャラクターがご理解していただけるであろう。
東京方面からクルマで来れば、四万バイパスを使わず、四万大橋の手前で右の脇道に入り、温泉口地区を通り抜け、山口地区に入るとそこに「鍾寿館」がある。
山口バス停のすぐ先、右手に温泉情緒漂う連子窓を眺めながら、ゆるいスロープを上ると、そこは「鍾寿館」のエントランス。
松の木をふんだんに使った、開放的な吹き抜けのロビーがゲストを迎えてくれる。木造りの温かさをすぐに感じるはずだ。
一番はじめに目に入るのは左手の飲泉所であろう。ここでまずこの宿の温泉をいただくのもいい。
右手に帳場、右奥におみやげ処「湯遊び」。左奥に新聞や雑誌などが置かれた休憩スペースとなっており、季節の旬のアケビも籠に盛られていた(10月取材時)。
ロビーの一角に座って梅ジュースをいただく。季節によっては煎茶、甘酒が出されるそうだ。
チェックインを済ませて、案内されて客室のある2階へ上がると、中庭がよく見える「ゆげ街通り」となる。そこは浴衣姿の女性が似合う、この宿のメインの廊下となっている。
大浴場や家族風呂の前の廊下には湯上りにゆっくりと腰をおろせる畳敷きの長椅子がある。そこは、湯涼みをしつつ、旅人同士の語らいの場となることだろう。
お風呂は、6つの貸切風呂(露天の山里乃湯3つと内風呂の古式風呂3つ)以外に、男女別大浴場「大乃湯」「花乃湯」と混浴露天風呂「源乃湯」の3つの湯舟がある。
まず、部屋で荷をほどき、しばらく休憩してから大浴場に直行。
男湯「大乃湯」、女湯「花乃湯」と、2つの風呂は左右対称の造りとなっている。石貼りの風呂で、もちろん源泉かけ流しである。源泉の出口には温泉の結晶がたくさん付いている。
蛇口とシャワーからのお湯も温泉を使っている。大窓からの日差しが心地良く、塀の向こうには四万の山々を望むことができた。
2つの大風呂は天井がつながっており、ご夫婦がそれぞれ風呂にはいっているとき、「先に上がるよ〜。」と声をかけあうこともあるとか。
これらのお風呂は、清掃時間以外は終日入浴可能である。
温泉は自然湧出の自家源泉「塩之湯」を使用しているが、源泉より自然流下にて貯湯の後、ポンプで高架貯湯場槽へ送りそこから自然流下で給湯している。源泉から湯舟までの距離は約30m。
そして、四万温泉の中でも数少ない混浴の露天風呂「源乃湯(げんのゆ)」。
「脇の舘」1階の石の階段を十数段下りていくと脱衣所があり、そこから露天風呂へ出て行ける。現在、脱衣所は1ヶ所なので女性にとっては、きついかなと思ったら、脱衣所を通り過ぎて、お風呂ゾーンの脇に簡単な脱衣所があった。
「源乃湯」は、深さが違う2槽に分かれた石造りの風呂からなる。温泉の結晶が湯口や天井などあちらこちらに見られ、古くからの温泉であることを物語る。
竹筒で出来た2つの湯口が高い位置にある。そこから豊富で新鮮な源泉が流れ落ちる音を聞きながら、広々とした温泉につかっていると、お湯と一体となった気分にさせてくれる。 しかし、これらの湯口は約60℃の源泉をそのまま出しているため、打たせ湯ではないので注意が必要だ。 少しでも空気中に触れさせて泉温を下げる目的だろう。
浴槽は手前が浅めで、奥のほうが深め。大人10人位が余裕では入れるほどの広さがある。
混浴露天風呂「源乃湯」で使っている巨大な湯かき棒は風呂椅子の座の部分を加工し再利用したものだ。
特に奥の深い浴槽を適切に温度管理をするためには、大きい湯かき棒が必要だった。どうしても浴槽の上部に熱いお湯が滞留してしまうのをふせぐ知恵なのだ。
ちなみに、「源乃湯」は石けんやシャンプーを置いていないのでカラダを洗うことはできないので注意。先に男女別大浴場や館内の貸切風呂「古式風呂」で、カラダをよく洗ってから「源乃湯」に入浴していただきたいのだ。
「源乃湯」の湯舟の奥には蒸し風呂があった。源泉の温度を利用した天然のサウナだ。
狭い空間ではあるが、大人が横になれる程度のスペースがあり、そこに木製の椅子と枕が置かれていた。
曇り硝子に外からのビームライトと自然光が差し込むのみで、薄暗く落ち着いた空間となっている。
この「源乃湯」は終日入浴可能であるが、16時より18時までは女性専用タイムが設けられている。
ただ、ご夫婦やカップルであれば、夜のご利用をオススメする。ここは露天風呂といっても、もともと眺望がいい風呂ではない。純粋に四万温泉の泉質の良さを堪能できるお風呂なのだ。
夜間は照明も薄暗いが、もし恥かしがり屋の女性同士やカップルで入浴中に、他の男性客が入ってきても、湯舟横の女性用脱衣所に"退避"すれば大丈夫だろう。
「源乃湯」は自然湧出の「常盤之湯」源泉より、タンクを通さずそのまま湯舟に通している。源泉より約10mということで、フレッシュな温泉が体感できるのだ。
朝は8時45分より清掃のために休止するので注意。
「鍾寿館」は新鮮な源泉を持っているため、保健所の許可を取っている飲泉所を2ヶ所設けている。
ロビーと大浴場前の湯上がり処である。
飲泉の適用症としては、慢性消化器疾患、慢性便秘、慢性肝胆道疾患、じん麻疹、肥満症とある。飲泉所の案内を読みながら正しい飲用をしていきたい。
また、保健所の許可を取っていないが、玄関前と古式風呂「一乃湯」も、新鮮な源泉がいただけるようだ。
客室は「本の舘」「脇の舘」「奥の舘」の3つの建物に分けられる。
20ある客室は、すべて和室の造りで、シャワートイレは完備されている。
冷蔵庫の中は空となっており、館内の自販機でビールやジュースを購入するか、持ち込んだペットボトルやフルーツなどを冷すことができる。
「奥の館」10室はバス・トイレ付きの、この宿の一番高級なグレードの客室となる。
12帖、10帖、8帖と3つの部屋タイプがある。内風呂も蛇口をひねれば温泉が出る。
特に12帖の322番の「湯霞の間」と326番の「湯心の間」が一番料金設定の高い部屋となっている。3階にあるこの部屋は「鍾寿館」の中で眺めが良好な部屋である。日差しの入りがよく、気持ちの良い風が入りやすいようだ。四万川の眺望はわずかしか望めないが、川のせせらぎを聞きながら、ゆったりと落ち着き寛ぐことができる。12帖の広々とした和室と窓側にはイスとテーブルを備えた広縁がある。
少しお値段を落とすと、323番の「湯祭の間」、221番の「湯霧の間」などの10帖の和室となる。
「脇の舘」8室と「本の舘」2室が、リーズナブルな料金設定のお部屋となっている。
こちらも12帖、10帖、8帖の3つの部屋タイプがある。
窓からは風光明媚な景色が見えるわけではないが、素朴ながら温泉情緒が溢れる和室と言えよう。
冷水のポットには、日向見川から取水されている自慢のおいしい水が入れてあった。
夕食、朝食ともに食事処でいただく。ただし、休前日など満室の場合は、「奥の舘」の客室でお二人の宿泊の場合、食事処の数の問題もあって部屋食になる場合があるという。
今回の取材時(2008年10月初旬)の献立のグレードは「四万川」。2名1室利用・平日1名様料金16,650円〜「奥の舘」8〜10帖部屋宿泊時のもの。
13,650円〜「本の舘」「脇の舘」宿泊時の献立はここから2品減り、21,000円〜「奥の舘」12帖部屋宿泊時には、ここからさらに1品以上増えたり、お刺身の種類が増えたりするとの事。
10月の取材時には、季節の旬のきのこを使った料理が目立っていた。以下に献立を紹介しよう。
食前酒の自家製の梅酒は、地元・駒岩の梅を2年間ほど漬け込んだもの。通年で提供し、とてもおいしく飲みやすい。
前菜には、手間隙かけた次の5品が飾られた。帆立貝西京味噌焼きは、生の貝殻付き帆立から身をはがして3週間くらい白味噌に漬け込んだもの。
赤烏賊紅葉焼きは、アフリカ産の赤烏賊にイクラ、雲丹(ウニ)、玉子のすり身を乗せて焼いたもの。
貴娘煎餅は、酒粕、蜂蜜、味噌、玉子を小麦粉、片栗粉で練り合わせたものを煎餅にした。ふわっとした軽いお酒の香りと甘みがよい。「鍾寿館」のオリジナルの一品だ。
胡桃甘辛煮は、長野県産の胡桃を醤油と砂糖で甘辛く煮たもの。
吾妻しめじ酒塩焼きは、酒と塩で一日漬け込み焼いたもの。稲穂のお飾りが秋を感じさせた。
酢の物は、蟹の奉書巻き。富山県産のズワイガニ、黄色と紫色の干し菊(もって菊)を戻したものを、桂むきをした大根とキュウリできれいに巻いていた。梅酢の赤色との色合い豊かである。
葛鉢は、落花生葛寄せ。千葉県産落花生ペーストを葛で固めたものに特製玉味噌でいただく。まろやかな味である。季節によっては落花生の代わりに胡桃や胡麻などにて提供しているそうだ。
土瓶蒸しは、吾妻しめじ、上州鶏、銀杏が入っていた。しめじの香りと鶏の旨味が凝縮されていた。かぼすを絞っていただく。
お造りには、炙りサーモン、厚みに切られた鮪、そして下仁田蒟蒻が盛られていた。下仁田蒟蒻は酢味噌をつけていただく。ぷりぷりした食感が楽しめる。
蒸し鉢は、海老百合根蒸し。大和いもと卵をつなぎに使い、海老をしんじょにしたものに、百合根をのせて銀あん(片栗粉で作ったあん)がかけられていた。彩りと香り付けに柚子皮が添えられていた。
陶板焼きは、赤城の山の麓で育った上州豚、群馬産椎茸、国産の舞茸、南瓜、玉葱、ピーマンが陶板にのっている。焼き上がってから蓋を開けると、野菜から出た汁でよく蒸されていた。それを特製の甘辛いたれでいただく。たれは醤油、味噌、豆板醤などで複雑に調合されているとのこと。
洋皿は、コンソメスープのパイキャップ。かわいらしい外観。セロリ、ニンジン、コンソメ、玉葱、しょうがを何時間もかけて煮込んだスープ。スプーンでパイをザクザクッと内側へ崩すと中には小海老とマッシュルームが入っている。もちろんパイをカポッと外して、ほおばりながらスープを召し上がるのもよし。こちらは季節関係なく「鍾寿館」定番の料理となっている。リクエストが多かったため、必ず入るメニューになった。
締めのご飯は、深山釜飯。釜の中には茨城県産のコシヒカリ、群馬県産の椎茸と鶏肉、竹の子、油揚げ、雪嶺茸(ゆきれいたけ)、青豆が入っている。生米から炊き上がるため火をつけてから炊き上がるまで、25分程かかる。火が消えてから5分蒸らして出来上がりとなる。
お椀は鮪と鱈のつみれ、冬瓜、柚子の吸い物であった。時季によって、つみれの魚は変わり、冬瓜もミョウガなどを使うことがあるとのこと。
香の物は自家製の蕪糠漬けと人参の糠漬け。長く続く糠床である。加えて西瓜奈良漬が付いていた。
水菓子は柿と梨といったフルーツ。もちろんこれも季節により変わる。
お料理は地産のもの、時季のものを大切にし、定番のもの以外、料理の内容は日々変化させているとの事。また、コンソメスープのパイキャップのように、洋風メニューを取り入れたりとお客を飽きさせない工夫が見られる。
朝食の献立で目に付くのは朴葉味噌。自家製ブレンドの味噌に、刻んだネギ、椎茸をのせて焼いていただくもの。朴葉味噌といえば飛騨高山を連想するが、実はこの朴葉は宿の裏手にある朴の大木から数多く取れるという。それで必然的に献立に加わった。ご飯によく合う。
白飯は茨城県産コシヒカリ。味噌汁は、しめじ、なめこ、小ネギ、豆腐が入っていた。
ウドと油揚げの煮物は全くアクがなく煮汁がしみておいしい。
茶碗蒸しには三つ葉、なめこ、蒸し海老、かまぼこ、銀杏が入っていた。
焼き魚は焼鮭、同じ皿には紫蘇らっきょうが盛られていた。
花豆はほどよく甘く2粒では物足りないくらいであった。
サラダはハム、レタス、赤玉葱、パセリに特製ドレッシングがかけられていた。
ご飯に合わせてしらす、山葵海苔、なめこの大根おろしをいただく。漬物にはたくあん、なす漬け、大根奈良漬け、駒岩の小梅がのっていた。
お帰りの前には、帳場の横にある、おみやげ処「湯遊び」に立ち寄りたい。
「鍾寿館」で人気なのは「汪江(ひろえ)こけし」。吾妻郡東吾妻町に工房を持つ福島汪江さんの手作りによる野菜や果物をモチーフにしたユニークなこけしが、数種類販売されていた。さつまいも、りんご、かき、なす等などのこけしの表情はみんな違っている。
お茶請け菓子にもなっているオリジナルの「銘菓 旅路」や、この宿社長イチオシの「高原花まめ甘露煮」は人気商品。
他に、「上州 梅のしずく」「地場ワイン 四万温泉」など、バラエティに富んでいる。
薬用入浴剤の「さわやか美人 四万の湯」はお家に帰ってからも四万温泉気分が味わえる。
美容用品として、四万温泉の源泉を配合した「四万温泉せっけん」と「すみせっけん」、同じく源泉を100%使った完全無添加化粧水「四万温泉やわらかミスト」も女性に人気だ。
「鍾寿館」は「地・温泉 湯守の会」に入っている。JR東日本が企画しているもので「地に根ざした湯を守りつづけてくれた人がいる。そんな宿を『地・温泉』と呼ぶ。」とのフレーズのポスターが館内に貼られていた。
これは温泉と地の食材にこだわった東日本エリアの27の宿の集まりのポスターである。キャンペーンも同時に実施している。左下から2人目が田村社長。
「鍾寿館」は2005年6月1日放送のテレビ東京の「いい旅・夢気分『新緑の上州!母子・温泉巡りの旅 軽井沢−万座−草津−四万温泉』」の中で朝丘雪路さんと娘の真由子さんが源泉かけ流しの露天風呂で旅の疲れを癒した旅館としてロケが行われ紹介されている。
また同じく2003年10月4日放送のテレビ東京「出没!アド街ック天国」の四万温泉特集で、「のんびりした温泉」が1位に選ばれ、そこで「鍾寿館」が紹介され、反響を呼んだ。
「鍾寿館」のロビー脇の階段の踊り場には、フリーライター小暮淳氏の原稿が飾られていた。上毛カルタに読まれる「世のちり洗う四万温泉」が、子供の頃「余のしり笑う四万温泉」と聞こえていた・・・と。なんとも微笑ましい内容であった。
「鍾寿館」には看板娘ならぬ看板猫がいる。茶トラ系で名前は「ミャー」。ロビー周りでよく寝ているのを見かける。常連客もこの猫に会うのを楽しみにしているという。
今では「鍾寿館」と猫は切っても切り離せない関係となっているそうである。社長からこんなエピソードを聞いた。数年前に旅館の屋根裏に1匹の猫が入り込んで、そこで赤ちゃんを産んでしまった。そして子猫は旅館の壁と壁の間に落ちてしまい、壁から鳴き声だけが聞こえる。かわいそうに思い壁に穴を開けて助け出した。
しかしまだ壁から鳴き声が聞こえる。もう1匹が別の場所に落ちていたのだ。壁に2つ目の穴を開けて助け出した。その他に、また娘さんが子猫を拾ってきたりと、猫が集まるようになった。現在では8匹の猫の面倒を見ているという。家族揃って猫好きなのがわかる。(ただ、ペットの持ち込みはご遠慮願っているとの事)
以前「鍾寿館」は、歩いて2〜3分のところに、四万川沿いの川岸に露天風呂を所有していた。ところが、諸事情により、平成10年に町に譲渡された。現在の町営の混浴共同浴場「山口露天風呂」の事である。朝9:00〜21:00の間、無料で入浴できる。取材時は5つの湯舟のうち、2つの湯舟にお湯が張られていた。脱衣所もある。
橋を渡ってその露天風呂に辿り着くことになるが、びっくりするのはその開放的なこと。しかしながら、昼間からカップル客がひっきりなしに訪れている。
ただ、その露天風呂からの景色は川岸に並ぶ宿の裏手を見るようなもの。はっきり言ってあまりきれいなものではない。「あれ?さっき通った旅館の裏?」・・・と少し驚く。なんでも表と裏があるということか。
2005年3月28日から6ヶ月の間、NHK朝の連続テレビ小説「ファイト」(脚本・橋部敦子)が放送された。
内容は、群馬県(高崎市と四万温泉)を舞台に、挫折や友人とのトラブルなどから精神的に傷つき不登校に陥った15歳のヒロイン・木戸優(本仮屋ユイカ)が、父親(緒方直人)の経営する町工場が倒産するなどして、一家離散の苦難の道のりを歩み、最後はサイゴウジョンコという競争馬に出会い、自分自身を取り戻していくという波乱万丈の物語。
四万温泉は生計を立てるために母親(酒井法子)が旅館の住み込みで働くという設定で登場する。
その宿の主人役は児玉清。彼は実は戦時中の集団疎開で、この四万温泉に一時住んでいた経験を持つ。
「鍾寿館」も、このドラマに登場する。主人公の優が、仲居のアルバイトを頼みに宿に訪れるという設定だ。そこで番頭が優を追い返すという場面。その番頭役がここ「鍾寿館」の田村徹社長だった。
また、優が休んでいたバス停も「鍾寿館」最寄りの山口バス停。古びた旅館の看板が並ぶ風情のあるところだ。
NHKドラマにセリフ入りで俳優デビューした田村徹社長(昭和34年生)は、創業の明治40年から数えて4代目。
2003年から社団法人・四万温泉協会の協会長を務める(2008年12月現在)。旅館だけでなく、商店までも包括している団体で、四万温泉の街づくりに大いに貢献している方なのだ。
協会は四万温泉の旅館と商店を包括している団体であり100%の加盟率となっている。この加盟率は温泉街としては珍しい。協会は四万温泉の地域作りと魅力作りを目指している。
2008年の7月には喜びの初孫が誕生した。49歳にしてお祖父ちゃんとなった。それにしても田村社長は、お顔は年齢よりもお若く見える。
「鍾寿館」の屋号の由来は、「鍾=ものがおのずと集まる」と「寿=良いこと」を合わせて「良いことがおのずと集まる」ようにと想いを込めてつけられたという。
簡単ではあるが「鍾寿館」の変遷を辿ってみたい。
創業の翌年、明治41年(1908年)に馬車路線が開通し湯治客が増加する。
昭和19年(1944年)8月から学童疎開を受け入れ、昭和20年(1945年)に終戦を迎える。
昭和29年(1954年)に四万温泉が、日本で初めて、酸ヶ湯温泉、日光湯元温泉とともに「国民保養温泉地」の第1号の指定を受ける。
昭和30年代には「奥の舘」を改築。昭和39年(1964年)に「脇の舘」を改築する。
昭和63年(1988年)に木造りの宿とするため全館の化粧直しを行う。現在の原型がほぼここで出来上がる。
平成10年(1998年)には、花壇だった裏山の傾斜地に、貸切露天風呂「山里乃湯」を建設する。
前述のように、河原の露天風呂(現在の山口露天風呂)を町へ譲渡するため、新しい目玉が必要だったのだ。
しかし、四万川に間近に面していない「鍾寿館」にとって、河原の露天風呂の譲渡は、プロ野球チームで例えるなら、エースがFAして別の球団に行ってしまうようなもの。
先代社長の決断は、周辺の旅館経営者から少なからず驚きの声があがったという。その人の良さは、現社長にも受け継がれている。
そして、平成15年(2003年)に徹氏が社長就任。
スタッフもその社長の人柄の温かさを感じながら、働いているような印象を受けた。
田村社長は大学卒業後、すぐに宿に入り、先代といっしょに宿を守ってきた。
そこで、ある時から、宴会目的の団体旅行の予約を受け付けしなくなった。
「鍾寿館」の現在の経営方針が、個人客中心に方向転換したのだ。酔っ払いが大騒ぎするような宿にはしたくないという事。
実際、この宿のリピーターとなっている客層は50〜60代以上のご夫婦が多いという。上質の温泉にこころゆくまで浸かり、静かに時を過ごし、パートナーと語らう。
そんな客層に支持されているのだ。
この宿の最大の魅力は、やはり豊富な温泉。だから、温泉の循環(リサイクル)の必要はない。シャワーのお湯や客室のお風呂のお湯も温泉となっている。
また、暖房の熱利用や調理場でも皿洗いになどにも温泉を利用しているそうだ。
泉温約60℃というのは、温泉宿を営むには理想の温度とも言われる。
ただ、加水を行うことがあるが、夏場か、清掃後の湯張りの際に温泉のみを一気に張り込むと熱すぎるため、山の湧き水を使って温度調整をするぐらいだ。
このような温泉へのこだわりをお客様に知ってもらおうと、風呂ごとに「教えて温泉」という温泉をわかりやすく解説したイラスト付きの案内が掲示されていた。入浴前後に読めば、自然と温泉のウンチクが頭に入ってくる。
また、すべての客室に「湯」の字を冠した部屋名としている。お湯を誇りにしているとことが伺えよう。
宴会で大騒ぎしてお酒を浴びるより、温泉を充分に浴びてください・・・とのメッセージが込められているようだ。
それは、職人気質のようでもある。頑固なまでに温泉にこだわり、そしてゲストに満足するまで湯浴みをしていただく。それがこの宿の理想だと思うが、職人気質だからこそ、コマーシャルの部分が大分不足しているように感じられてならない。
今、流行の「和モダン」「レトロモダン」を取り入れたデザイナーズ旅館でもないし、センスのいい家具や調度品がオブジェのように置かれているでもないし、女性に人気のエステがあるわけではない。やはり何かインパクトに欠ける部分は多々あるのは確かだ。
それが、ある人からすれば、中途半端な印象を受けたり、時代遅れ的なイメージを持ってしまうかもしれない。
しかし、これが「鍾寿館」のスタイル。頑ななまでに温泉にこだわるその姿勢は、やはり本物の温泉を知る客には伝わってくる。
だからこそ、以前、四万温泉全体がそうであったように、「湯治」というテーマを全面に出していくべきだと思う。
しかも「鍾寿館」の泉質は、保湿成分を多く含む女性にとっては、この上ない特徴を持つ温泉なのだ。
最近、この宿も若い女性の宿泊客が増えてきたという。
ひと昔前の「湯治=農閑期のカラダを癒すための温泉入浴の自炊旅行」ではなく、「湯治=美容」、そして「湯治=カラダだけでなくココロの癒し」という目的を持って、この宿に訪れるゲストを、今以上に増やしていくべきだと思う。
2泊3日の小さな湯治旅行でもいい。やはりカラダを休めるには1泊2日はハードスケジュールなのだ。
幸い、「鍾寿館」の公式HPを見ると、格安の素泊まりの宿泊プランもある。
そして、平日限定ながら一人旅プランも、今後作っていくらしい。
土日しかお休みが取れない人でも、仕事を終えて金曜日の夜9〜10時ころまでにチェックインして温泉に浸かり、翌日土曜日は昼間までぐっすり眠る。お昼は周辺の定食屋で済まし、そしてまた温泉に入りながら、時をゆったりと過ごし、その日の夜はご馳走をいただく。翌日曜日は、すっかり疲れも取れて、自宅に帰れるはずだ。
できれば、最低でもこのような、ゆったりとした計画を立ててほしい。そうすれば、この「鍾寿館」の本当の良さがお分かりになるはずだ。
公式HPのネット直予約限定平日プランで予約すれば、一番おトクなのでチェックしてみるのもいいだろう。
ただし、料理は少なめでバス無しの部屋になるが。
「鍾寿館」はある意味、普段着の温泉宿。気兼ねなく訪れることができる雰囲気がそこにはある。
田村社長も、イメージとすれば「社長」というよりも「宿屋のおやじ」「宿屋のだんな」として、やっていきたいのだろう。
そして、これからも歴史を刻んでいく「鍾寿館」という湯宿は、上質な温泉を有する宿の「湯守」としてのプライドによって、後々の代まで果てしなく続いていくのだろうと確信できた。(J)