「日本になくなった日本の宿 たったひとつ残っている その宿がべにや 温泉ともてなしに 何よりも心あり」(花登筐)
こんな最大級の賛辞を送られる、あわら温泉の「べにや」は和のかおり高い旅館だ。“北陸を代表する名庭”とさえ呼ばれる庭園を、取り囲むようにして配置された客室は24。あわらの温泉宿では珍しい小さいお宿だが、田中音丸の設計による数寄屋造りの和風建築は、玄関先にどっしりと根を張る樹齢200年の椎の大木にも負けぬ存在感を放つ。
屋号の「べにや」とは、初代が同じ福井県の三国で紅粉の卸業を営んでいたことに由来する。明治16年の芦原温泉開湯と共にこの地に移り住み、翌年開業したのである。綿々と受け継がれてきたこの旅館を、現在引き継いでいるご主人、奥村隆司社長は6代目にあたる。
館内に入ると、若草色の壁、朱色の絨毯と畳に迎え入れられる。和の雅を感じさせる伝統的な色使いは、自ずとこのお宿の品位の高さを表しているかのようだ。靴を脱ぎ、階段を数段上ると、朱の絨毯にソファが配されたロビーに至る。ここのロビーには窓が大きく取られ、室内に明るさをもたらすと同時に、窓の外に広がる自慢の庭園を一望することもできる。このソファは、“北陸を代表する名庭”の眺めを独占できる特等席である。
この池泉回遊式の庭園は、昭和31年の芦原大火の後に造営された。4代目の「お客様に喜んでいただきたい」との思いから、まず中央に庭園を配置、そのまわりに建物を配置したのだという。大切に育てられて50余年、「ようやく落ち着きが出てきました」と奥村社長は語る。松やつつじ、藤に菖蒲の花などが織り成す造形は、日々の喧騒を忘れさせる美しさ。冬には、金沢の兼六園で有名な北陸地方の伝統、雪吊りが自然美と人工美の調和を見せる、まさに“芸術”。この取材は2月、ロビーで多く見られたのは、うっすらと雪化粧をまとう庭園に見とれる宿泊客の様子であった。
規模の小さいお宿だけに、公共の施設も少なく、お風呂以外にはカラオケバーと宴会場があるのみ。20代などの若いカップルが気軽に泊まり、青春の1ページを刻みにいくような宿という印象は残念ながらないが、静かに芸術作品を堪能する 美術館に行くような気分で訪れるのもまた良い経験になるのかもしれない。
客室も純和風、日本の伝統意匠の美しさと格式が感じられる。この余裕ある、伝統的な設えは現代の日本では見ることが難しくなった。タイプにより広さや部屋数、間取りも異なるが、どの部屋も踏み込みでスリッパを脱ぎ、次の間を経て、床の間と広縁を備えた客間に至るのは同じ。客間に隣接する広縁からは、24室中15室は中央の庭園を望むことができ、残りの部屋からも窓の外に設けられた、手入れも見事な坪庭が目を愉しませる。調度品などは能登の輪島塗、浴室には檜がふんだんに用いられている。隅々から上質さが伝わる空間でありながら、それを惜しげもなく提供している。忘れかけた日本人の美徳を見るような、お宿の心配りである。
べにやの温泉は、霊峰白山に源流を持つといわれる、敷地内の4本の自家源泉から絶え間なく湧き出る天然温泉。柔らかできめ細やかな感触が生きており、効能に優れる成分が身体の奥深く浸透する。深いリラクゼーション効果を発揮するこの湯に、多くの文人墨客が魅了された。泉温が高いため加水はされているが、気温の低い冬は源泉の温度も下がるため加水量も少ない。それにより濃厚なお湯を堪能することができるのである。大浴場は男女別に二つと露天風呂が一つ、深夜0時で入替がある。露天風呂は元混浴であったが、現在は片方からしか出入りすることができない。14:00〜0:00は男性用、0:00〜10:00までが女性用ということになる。
芯から身体が温まったら夕食だ。部屋でいただく旬の懐石料理を調理するのは、大阪のリーガロイヤルホテル内の割烹で修行をつんだ若林泰男料理長。素材にも細心の注意をはらい、越前・若狭産の素材を中心に、すべて手作りにて提供される。例えば、卵は近隣の契約農場「おけら牧場」で放し飼いにされ、自然のモノを食べて元気に育った鶏の新鮮な卵を使用。豆腐は福井県三国町にて有機農家4軒が集まってつくりあげた「きっちょんどんの大豆まるごと豆腐」。地元で採れる大豆を中心に国内産大豆のみを使用して、おからが出ない、全国でもめずらしい豆腐を使用している。お米はもちろん福井県産コシヒカリ。このように、あたり前とされていたことを今でも続けている「べにや」の姿勢は、料理一品に至るまで表れているのである。タイミング良く運んでくれる熟練の中居さんたちも、居心地の良さに一役二役買っているのは間違いない。
取材時(2008年2月)の献立を紹介する。節分を連想させる料理は『旬の懐石料理』と題され、見た目にも楽しいラインナップであった。
節分らしく、絵馬の上に盛り付けられた前菜で始まる。その匂いが鬼をよせつけないといわれている鰯の土佐煮、菜種 のし梅博多、厚焼き、才巻沢煮、木の芽。梅枝や柊が添えられた、立春の訪れを喜び、また今年一年の無病息災の願いが込められた一品。2月が旬の橙を釜に見立て、その中に、これもこの季節が一番おいしい、芹や鯛の白子が盛り付けられている添物。黄身酢とゼリー酢が乗せられており、混ぜることで独特の臭みがまろやかになる。酢の物には三国港で水揚げされた茹で水蟹をお酢につけていただく。脱皮蟹とも呼ばれるこのカニは殻も柔らかく食べやすい。殻ごと茹でたりから揚げにしたりして、そのまま食べることもできるという。「べにや」では冬のシーズン、最上級の越前ガニを三国港、越前港より仕入れている。涼しげに盛り付けられたお造りは、鯛、赤貝、キュウリ巻きの赤貝のヒモ。その日その日、季節の旬のものを市場で厳選して仕入れている。鰹のしっかりきいた出汁に、揚げ出し豆腐が入れられている椀物。越前港、三国港で水揚げされた白身魚・ナメラを葛打ちにし、上には千枚蕪がのせてある。これは、雪山をお椀の中に演出しているそうだ。
お凌ぎも個性がある。和銅四(711)年二月初午の日に、稲荷山に大神様が御鎮座。それを祀り、毎年この時期お稲荷がお供えされるという。それにちなんだ「べにや」特製の蒸し稲荷。油揚げが裏返しにしてあるのは、お稲荷特有の“張り”が苦手な人向けだという。具材は人参、筍、牛蒡と、おの実という麻の実が香ばしさを加える。焼物には、鮭の木の芽焼と、竹の子の醤油焼きに、小鉢に入った三色塩唐が添えられた一品。サンショウの若葉を用いた木の芽焼は、春を感じさせる焼き物。このわた、鯛の塩辛、蛍烏賊の塩辛はそれぞれ個性の強い味だが、混ぜることでまろやかで食べやすい味わいになる。沖合の深海魚、幻の魚といわれるクエの鍋。あっさりとした味の白身魚は、骨ダシで煮込んだ豆腐、白葱、椎茸との相性も良い。その場で鍋に火をかけて煮込むので、アツアツのままいただける。大野産のコシヒカリ、赤出汁には若布(ワカメ)、豆腐、茗荷がいれられている。香の物は自家製。果物切り出し。三国の農家が作ったエゴマ、「おけら牧場」の牛乳を使用して練られた手作りジェラートに、苺とメロンが添えられている。
朝食は国産大豆を使用した、「きっちょんどん」の湯豆腐を中心に、越前港で仕入れたカレイの一夜干、赤烏賊の細造り、とろろ長芋、勝山水菜と薄揚げのお浸し、ひろうす・南京・小芋・鞘えんどうの炊き合わせという品揃え。品数も多すぎず、適度な量でご飯がすすむ品々だ。生卵は「おけら牧場」のもの。前日とれたものが並べられている。福井県は麦の収穫高が日本一で、麦ご飯の麦とろを出すことも夏には多いそうだ。
上質の自家源泉を堪能できるお風呂、旬の素材を見事に活かした料理、設えも見事な空間と心のこもったおもてなし・・・これだけの好条件の揃う「べにや」の館内にはやはり、これまで多くの著名人が宿泊したその名残が見られる。今上天皇も皇太子時代の昭和42年、54年とご夫婦で二度宿泊されており、館内に飾られている写真で当時の様子を見ることができる。また、『番頭はんと丁稚どん』、『銭の花』(『細うで繁盛記』)、『道頓堀』、『あかんたれ』などの著作で知られる小説家・脚本家の花登筐(はなとこばこ)や、福井県出身の直木賞作家、水上勉も宿泊している。彼の小説『越前竹人形』はここが舞台だといわれており、映画化もされている(1963年 監督/吉村公三郎 出演/若尾文子・山下洵一郎・中村玉緒・中村鴈治郎・殿山泰司・伊達三郎・浜村純・西村晃など)。『誰のために愛するか』などの著作で知られる曽野綾子らが宿泊した際に贈られた手紙も大切に保存されている。ロビーには同様、昭和の大スター、石原裕次郎の写真と、『風行草偃(ふうこうそうえん)』と書かれた自筆の書画が飾られているなど、さほど大きくはない館内を一通り散歩するだけで、この旅館がいかに多くの人々に愛され、いかに多くの物語を生み出してきたかがわかるだろう。
この宿を語る際に欠かせないのが、上にも述べた石原裕次郎である。日本を代表するスターである彼のこと、御用達の旅館なら他にもいくらでもあるだろう。だがここ「べにや」においては、その最晩年の闘病の日々、亡くなる前年の9月から10月にかけての40日間を、夫人と共に静養のために過ごしたという特別なお宿なのである。先代社長がまき子夫人とゴルフ仲間になったのをきっかけに、以来同い年ということもあって親交を深めたという。何度となくこの宿を訪れ、防音設備も施されたバー「くれない」ではよく石原裕次郎が石原プロの仲間とグラスを片手に、朝までマイクを握ることも多かったという。渡哲也が裕次郎の『俺は待ってるぜ』を歌い、裕次郎が渡のヒット曲『くちなしの花』を歌うという光景が繰り広げられていたそうだ。交友はそれだけに留まらず、ハワイの別荘にもしばしば招き、共にゴルフに興じ、大好きな酒を飲み、家族同然のつきあいをしていたというのだ。当然、彼にまつわるエピソードも数多く、残された多くの写真もアルバムに大切に保存されている。
日本を代表するスターをも虜にしたこのお宿の魅力とは、上にも挙げた上質の湯・料理・空間だけではない。現在でも多くの常連客やその紹介客から直接、電話で予約を受けることが多いということからも明白なように、何よりも“縁”を大切にするその姿勢にあるといえるだろう。風格を備えながらも格式ばらない、そんなところが多くの客の心を捉えた。これはまるで、石原裕次郎その人を現しているかのようでもある。
彼亡き後も石原プロとの交友は続き、石川県粟津温泉の老舗宿「のとや」から迎え入れた女将さんとの結婚式には“軍団”が勢ぞろい。この地方では結婚式にまんじゅうを撒く風習があるそうで、舘ひろしや神田正輝らが、宿の2階ベランダから通りに向けてまんじゅうやインスタント麺を撒いたという。この様子は当時、テレビ取材も訪れたというお祭り騒ぎだったそうだ。仲人は現都知事の石原慎太郎夫妻、花嫁側の主賓は元首相の森喜朗氏という豪華な顔ぶれには驚くばかりである。
北陸あわら温泉は、温泉の密集するこの北陸エリアでも随一の規模を誇る人気の温泉
街だが、開湯は明治16年(1883年)、歴史は百数十年と比較的新しい部類に入る。
「芦原」という地名からもわかるように、この一帯は古来、芦の群生する湿地原であった。それを田畑として整備され、やがて温泉が発見されて開発された地なのである。
平地に栄えたこの街からは借景となりうる絶景は望めず、そのためこのお宿も中央に
人工の庭園を配した設計となった。天然の荒々しさが織り成す圧倒的な自然美ではな
く、人の手による造作を世代を経て引継ぎ、大切に育て上げたこのお宿には、多くの
人間が行き交うことで息が吹き込まれる。
裕次郎から贈られた書がロビーに飾られてあった。その『風行草偃』という言葉は、
“風吹かば、草ふせる”という意味。そこには、一瞬の風のままに、四季折々に移ろ
いゆく自然のままに、草が身をゆだねるごとく、たおやかに・・・そんな意味合いが
込められているのだという。書かれたのは昭和57年、裕次郎が大動脈瘤で入院し、奇跡の復活を遂げた頃の事である。多くの人間と触れ合うことを余儀なくされたスターが
晩年を過ごす場所として選び、この芸術の域に達する庭園を日がな一日眺め、自らの人生
を省みた。これは他の場所では起こりえず、「べにや」でなくてはならなかった、そんな気がしてならない。(J/eb)