下呂温泉といえば、かつて江戸時代の儒学者、林羅山をして、有馬温泉、草津温泉と並び、『日本三名泉』と呼ばしめた歴史ある温泉地。名古屋など中京地区から、2時間弱とアクセスも良いこの地は、鉄道の通った昭和の初め頃より発展を遂げてきた。飛騨の山々の美しい自然に抱かれる谷あい、中央を益田川(飛騨川)の流れるこの地には、現在では約40もの旅館が集まる。
その起源は神代にまで遡るが、山深いこの地のこと、度重なる天災により、湯が止まることも度々あったそうだ。永く温泉に親しんできた住民は悲しんだが、ある日一羽の白鷺が河原に降り立ち、それより毎日のように同じ場所でじっとしていたという。不思議の思った村人が白鷺の飛び去ったその地を見に行くと、こんこんと湧き出る温泉とともに、一体の薬師如来像があった。この伝説が現在湧く源泉の由来であり、いまも地下より噴泉する河原風呂として、地域や観光客にも親しまれているのである。
この川に沿って、近代的なビル型の旅館が多く軒を連ねる中、街外れの小高い丘の中腹にある小さなお宿が人気を呼んでいる。創業を昭和43年に持つ「こころをなでる静寂
みやこ」は客室数18、いちはやく女性をターゲットに絞込んだ数々のサービスが特徴のお宿である。
なだらかな坂道の途中、観光名所である「下呂温泉合掌村」を背後に抱く「みやこ」は、緑に深く覆われ、外から全体像をつかむのは難しいほどだ。駐車場で車から降りると、緑のトンネルに弧を描く石畳のアプローチが延びる。緑に映える門が落ち着きと雅な印象を漂わせる中、夕方になると焚かれるかがり火が幽玄さを加える。
門をくぐり館内に入ると、再び濃い緑に目を奪われる。カエデや松、つつじ、ユリやヤマアジサイ、南天や菖蒲などが、四季折々の豊かな表情をふりまき、館内に外の世界とは隔絶された静けさをもたらす。玄関で靴を脱いでロビーラウンジに至ると、大きな窓の外には、せせらぎの流れる庭園が。アンティーク調の椅子に腰掛ければ、窓の外に広がる庭緑が自然に目に入り、旅路の疲れも癒されることだろう。
館内は3階建ての本館と、庭園の中に離れ客室が4棟点在するという構成だ。
1階のロビーから階段を降りずに奥へ進むと、個室食事処が連なる。階段から半地下に降りると、読書室とバーが。読書室には司馬遼太郎や松本清張はじめ、小説や写真集などが並ぶ、読書好きの館主のこだわりが色濃く反映された空間である。部屋の前にあるラウンジのソファや、客室に持ち込んで寛ぎの時間を過ごしていただきたい。
ここに隣接する通路の先に、男女別の大浴場と、通路から外に出た庭園内に貸切の露天風呂が点在する。男女別大浴場は入れ替えはなく、内湯と露天風呂、そしてウッドデッキという構成。緑の迫るウッドデッキのリクライニングチェアで湯上りに涼を取ることもできる。露天風呂の浴槽や周囲の岩には備長炭が敷き詰められるなど、この宿ならではの心配りが施されているのも目に付くだろう。女湯は男湯に比べると、脱衣所も内湯も露天風呂も、そしてウッドテラスも広く取られている。これは、男性には内緒。
館内はゆったりとしているが、エレベーターはなく、階の移動は階段を利用するしかない。緑も深く、穏やかな風情の広がるこのお宿だが、足腰の弱い方の宿泊は難しいかもしれないということは注記しておく。
離れの4室、本館の14室、計18室ある客室は実に個性豊かだ。それぞれのテーマに沿って練り上げられた丁寧な息遣いを感じさせる各部屋。自分好みの一室は必ず見つかるだろう。
露天風呂付き離れ「逢月庵」の4客室は、新潟の古民家に用いられていたという太い梁などの部材を組んだ民芸調の空間に、それぞれのテーマに沿ったこだわりの家具や調度品が選ばれている。例えば、「蜜虫(みつむし)」は大正ロマン、「花筐(はながたみ)」はコンテンポラリー、「雨音(あまおと)」はアジアン、「葉隠(はがくれ)」は李朝風、というように。
ステンドグラスやシャンデリア、障子の木組みなどに見られる繊細なしつらえも部屋のムードを高め、これらを通して入るやわらかい光が室内を満たす。どの離れにも専用の庭園が付くので、この部屋に籠もって外を眺めながら、ゆっくりと過ぎる時を愛でるように楽しむことができる。離れならではのゆとりある空間には、ワンランク上のくつろぎと落ち着きがある。お子様の宿泊はできない大人の空間で、大切な人との大切な時間を楽しみたい。
本館の5つの特別室も部屋によりまったく異なる趣を見せる。うち4室、欧風の「月雫(つきしずく)」、シンプルモダンの「夢花壇(ゆめかだん)」、レトロモダンな「鳥桟敷(とりさじき)」、"芸術的"空間の「風手鞠(かざてまり)」はベッドが導入された和洋室で、より現代の日本人が慣れ親しんだスタイルが採り入れられているといえよう。もちろん畳敷きの和室も用意されており、宿泊の人数によってはここに布団を敷くことも可能だ。
「白扇(はくせん)」のみベッドはないが、畳敷きの和室に加え、フローリングの応接間や広縁が付くなど、和洋折衷の良さがここでも取り入れられている。また、「月雫」の102uという広さを筆頭に、どの特別室も広々とした余裕のあるつくりが特徴。ホテルのスイートルームを意識したというこの伸びやかさ、テラスに設けられた坪庭を眺めながら入れる露天風呂や内湯の開放感――どれも得がたい贅沢といえよう。
お風呂の付かない一般客室は9室。深い色合いの木材と懐かしい小物、民芸調に統一された、洗練と使い勝手のよさが両立するシンプルな10帖間だ。上述の離れ客室や特別室と比べれば、見劣りしてしまうところはあるかもしれないが、アメニティーの充実度や受けられるサービスは同じ。よりリーズナブルに、贅沢心だけ味わいたい方には、こちらの客室も自信を持ってオススメできる。
食事は全て、1階のロビー奥にある食事処でいただく。すべて個室に分かれており、プライベートな時間を最大限に楽しめるようになっている。ネオジャパネスクをコンセプトに創り出されたモダンなテーブル席、料亭のような掘りごたつ座敷など、人数や好みに応じて使い分けが出来るのも嬉しい。
食事の内容は旬の素材、地の素材も用いた一品出しの懐石料理。大阪で修行を積んだという、和食一筋のベテラン料理長、黄瀬朗男さんの腕が冴える品々には、専務やスタッフのアイデアも取り入れているという。和食のたしかな味付けをベースに繊細なアレンジが施され、また食卓をひときわ華やかに彩る盛り付けにも注目したい。
食前酒は枇杷とココナッツのお酒。夏らしく爽やかな味と見た目が印象的だ。そのときそのときの季節感が漂う素材がチョイスされるそうだ。小鉢には養老豆腐の人参ムース掛け。フルーツトマトやオクラ、卵などを織り込んだ養老豆腐に、薫り高いニンジンのムースをかけたもの。クコの実を添えて薬膳風に仕立てたヘルシーな一品。
前菜はキャンドルライトのような台に盛り付けられた季節の品の盛り合わせ。まるでひとつのオブジェのようだ。並ぶ具材も盛りだくさん。合鴨燻製のアスパラ巻、焼茄子の穴子巻、厚焼き玉子、続いて一寸豆の海老真丈、衣かつぎ小芋、三段目には沢ガニとアマゴの唐揚げ。グラスにはオクラの入った能登のもずく。手前の葉に並ぶのは、沖縄産まこも茸のベーコン巻き。
椀物には夏らしく、枝豆の冷製スープ。裏ごしにした枝豆のスープに、黄色ズッキーニ、じゅん菜、ぶぶあられとタピオカを載せた、涼やかで軽やかな味わいを楽しもう。
お造りに富山湾直送の鯛、地元名産の飛騨牛、紅芯大根、菊花、手づくりコンニャク、自家製重ね湯葉が並ぶ。牛の赤、魚の白など、色合いが目に鮮やかに映る。
煮物は飛騨健豚の豚バラ角煮。軽く焼いた後におからと焼酎で3時間かけて蒸し揚げた後に、ダシに漬け1時間かけて煮込んだ。小芋、インゲン、赤パプリカが添えられ、サツマイモのはりはり揚げが載せられている。最近学校給食にもよく出される健豚とは、よもぎなどビタミンEを強化した飼料で育てられた飛騨の豚で、やわらかさとしっかりとした口当たりが特徴。この煮物は、素材の良さを最大限に活かした一品といえよう。
続いて、焼き物に長良川産の鮎塩焼きが、酢橘を添えて出される。清涼な水で育った、クセの少ないさっぱりとした身には、シンプルな塩と酢橘の味付けが似合う。魚に続いて肉も地の名産を。台物としてひとくち飛騨牛の陶板焼きが出される。じゃが芋、ベビーコーン、青唐も合わせて焼いて、深い味と香りを楽しもう。食べやすい量も嬉しい。
ここで変化球。油物に太刀魚酒粕揚げが出された。『飛切』などの銘柄が有名な地元の酒蔵、「天領酒蔵」の酒粕をはさんで揚げたものだ。鴨ネギの話から着想したという、京ネギに地鶏を入れ込んで揚げた品も、抹茶塩との相性がよく、サッパリとした味わいだ。
次の酢物は特注の型に入れて作る野菜のテリーヌ仕立ては、黄瀬料理長オリジナルの一品。レモンやリンゴ酢を入れたバジルソースが爽やかな味を引き立てる。具材にはド赤パプリカ、ブロッコリーやニンジン、ベビーコーン、グリーンアスパラ、海老身をキャベツで包んだ。添えられたドライトマト、ズッキーニとラディッシュとが織り成す、繊細な色合いも楽しみたい。
御食事に食卓の隣でコトコトと炊き上がる鯛めしを。食事処の室内に香りが充満したら食べごろである。お椀に取り分けて、赤出汁と自家製香の物とで食事を締める。デザートの、甘みと酸味をまろやかに整えたメロンスープに浮かぶ、メロン、ゴールデンキウイ、オレンジのフレッシュな後味を楽しめば、ほどよく腹も満たされることだろう。
お夜食として笹寿司が部屋に置かれる。雪深い飛騨の国に古くから、保存食として伝わる笹寿司。この熊笹の爽やかな香りも旅の思い出に刻まれるだろう。なお、女性限定プラン利用で宿泊の場合、この熊笹を、腹にたまらず持ち帰りも可能なお菓子セットに変えることもできる。
朝食も同様に食事処で。定番の和食だけでなく、洋食を選ぶことができる。和朝食はこの飛騨地方の特産が多く並ぶ。ご飯と赤出汁を基本とし、リンゴジュースが付く。七輪では、しめじ入りの朴葉味噌、しいたけ、厚揚げ、そしてカレイを焼いていただく。他にもサラダ、その場で火に掛ける目玉焼き、小鉢にはじゃこ、明太子、ナス漬けが並んだ。
洋風の朝食には、バターロール、クロワッサンなど焼き立てパン3種に、苺ジャムとバター。ベーコン焼にはピンクグレープフルーツとプルーンが添えられ、ヨーグルトにはちみつ、ポタージュとリンゴジュース、サラダとその場で火にかける目玉焼きが並んだ。
やはり女性を中心に支持を集めるこの宿のこと、料理の繊細さやより広い女性大浴場など、宿泊すれば女性を喜ばす仕掛けに満ちている事に気付くであろう。公式ホームページで予約をする場合には、女性限定プランもチェックしたい。その名の通りのプランなのだが、特典として、ブルガリの化粧アメニティが付き、ソフトドリンク・ビール・梅酒よりドリンクを1杯サービス、夜食を「笹寿司」から「お菓子セット」に変更ができ、そしてロビーに置かれるカラー浴衣を選ぶことができるというものだ。
温泉で芯からあたたまった身体には、効き目も倍増するといわれるマッサージ。1、2階の階段の踊場にある、アロマの香りが漂うマッサージコーナーでぜひ合わせて楽しんでいただきたい。お顔コース、お体コースが用意されており、顔、足、手のマッサージを受けることができる。フットは20分/\3,500から。オススメはセットコースで、フットバスに入りながらゆったりとハンドマッサージをし、温まったらフット、頭、肩と施すトータルコース。50分/\6,500、60分/\7,500。
フロント横にあるお土産コーナーに並ぶお土産品のチョイスも可愛らしい小物が多い。朴葉味噌や飛騨牛のビーフカレーなどの食品や、お茶請けにもなっている下呂温泉銘菓の"しらさぎ物語"などもオススメだが、お香や絵柄付きのきんちゃく袋も人気の品。お土産として持ち帰りやすいサイズのものが多く選ばれているとのこと。「日本三名泉」下呂温泉のミネラルを含有した温泉水をそのままスプレー缶に閉じ込めた保湿効果のある化粧水、「下呂温泉ミスト」もやはり女性には人気のお土産である。
また、土産物コーナー内にある陶器ギャラリーでは、瑞浪市にある陶房、"北冥窯"の作品が並ぶ。黄瀬戸、志野、織部、御深丼。桃山時代にこの地に栄えた美濃焼の伝統を色濃く受けた、茶陶、花器、懐石食器などの現代の器が陳列されている。興味がおありの方は是非。
客室での滞在が主となるこのお宿だが、もし元気があれば朝市におでかけすることもお勧めしたい。というのは宿のすぐ隣にある下呂温泉合掌村の駐車場では、春から冬の手前まで朝市を行っており、下呂温泉の特産品や飛騨の名物、農産物、地酒、地味噌、漬物などのお店が出されているのだ。時間は朝8時から正午まで。
この宿の創業は1968年(昭和43年)。
当時の屋号は「麗苑(れいえん)」だった。
1982年には「ホテルニューみやこ」と改称したが、21〜22室の規模で、団体旅行向けのリーズナブルな料金設定の宿だったらしい。しかも月の半分が空室に近い状態という有様だったとの事。
そんな宿に、1998年に嫁入りした都竹真由美(つづくまゆみ)さん(当時29歳)が、宿に入ってから、ガラリと様相が変わったのだ。
真由美さんは、それまでOLをしていたが、塾の全国展開を指示するリーダーだったり、建築関係の会社にも務め、あらゆる分野でその能力を発揮していたという。
二代目社長であり、ご主人である都竹志門(つづくしもん)さん(昭和29年生まれ)とともに、大改装に着手したのが翌年の1999年から。それを機に屋号も「こころづくしの宿ニューみやこ」にした。
まずはロビー周りから手をつけたというが、基本のコンセプトは、男性の多い団体旅行客から、女性客、もしくはご夫婦の個人旅行客へのシフトを前提としていた。
2000年には、この宿では初の露天風呂付き客室「白扇」を完成させ、また貸切露天風呂も造った。貸切露天風呂は下呂温泉では最初だったという。
同時に現在の屋号「こころをなでる静寂 みやこ」にした。
「こころ」とか「静寂」とかは、なんとなく解るが、「なでる」という表現は宿名にはあまり聞いたことはない。「なでる」とは「撫でる」。あるいは「愛撫」から取っているのか、よくはわからないが、少し官能的なコピーではある。これも真由美専務の感性からくるものだろう。
どちらにしても、このリニューアルは大成功を及ぼす。センスのいい客室といい、隠れ家的な雰囲気といい、特に女性客に支持されるようになったのだ。
雑誌やテレビの取材が増えてきたのもこの頃から。とにかく今まで考えられなかったような連日満室という状況が発生したのだ。
2001年には、さらに高級感を全面に出した、小学生以下のお子さんは宿泊不可の、離れの露天風呂付き客室「花筺(はながたみ)」を新たに造った。こちらも大好評となる。
翌2002年には、その離れを3棟(「雨音」「蜜虫」「葉隠」)増やし、現在のような離れ4室構成となったわけだ。
2005年には、本館の特別室「鳥桟敷」「風手鞠」「夢花壇」「月雫」の改装を施した。
2007年11月から手、顔、足のみのエステも開始し、さらに女性客に人気を博しているようだ。
真由美さんの名刺の肩書きは専務。それでも一部のスタッフからは女将と呼ばれている。
しかし、真由美さんはその女将業という仕事はあまりしていない。客の前に出て接客したり、部屋のご案内をしたりなど、前面にはほとんど出てこない。裏方に徹しているのだ。
その真由美さんの趣味は旅行。そしてカメラも常に持ち歩く。
そして、月に1回のペースで、ホテルや旅館に泊まりに行くという。
もともと、旅行好きだった彼女が、なんの因果か、温泉宿に嫁いできて経営に携わるようになったのは運命的とも感じさせる。
彼女にとって「こころをなでる静寂 みやこ」とは、「自分自身が泊まりたい宿」の具現化なのだろう。そして「緑に埋もれる宿にしたい」とも語ってくれた。
大型旅館が建ち並ぶ下呂温泉の中でも、これほど個人客に明確にターゲットを絞った宿は珍しい。今では50代のご夫婦をはじめ、それ以上の熟年のご夫婦客が多くなってきたという。
これもリニューアル後目指してきた「大人の宿」に脱皮できた証しでもある。
さらに、この宿は一人旅のゲストも歓迎している。
全客室でインターネットを使えるようにLANケーブルも配置した。
ノートPCを持ってビジネスをしながらも、温泉旅行もしたいという忙しい方にもこの宿は迎え入れてくれる。
また、男性が大事な女性をエスコートする際、この宿を選択することは賢明である。
その時、大事なのは客室の選択。彼女の好みを考えて選ぼう。公式HPにも詳しくデータが載っているので参考にしていただきたい。
いずれにしても、現在の「みやこ」は真由美専務ご自身が気に入った姿になっているはずだ。
そして、次なる展開も楽しみな宿ではある。
ぜひ、あなたも、たまには自分の心を「撫でて」もらいに、静寂の宿に泊まってみてはいかがだろうか。(J/eb)