「おやど二本の葦束」を語る場合、単にハード的な説明だけをするなら、由布院の土地、4,500坪の敷地に10棟の宿泊棟、そしてフロント棟、食事処、浴室棟、そしてバーとそれぞれ独立した離れとなっており、周辺も緑に囲まれ、その散策路には所々にどこかの国の美術品や石像も置かれ、見事に旅情をかきたてる雰囲気が漂っている。
だが、そんな説明だけでは、この宿をたった1%も紹介しきれていない。この宿は、橋本律子という、ひとりの女性が表現したかったひとつの形であり、そして彼女のもとに集まった人たちによる、お客様への「おもてなし」の空間なのだ。
「おやど二本の葦束」という宿名の由来を彼女に聞くと、こう答えてくれた。・・・「縁(よ)り起こる〜縁起の意味から来ている。文化は異文化を尊重してこそ、さらに豊かな可能性を芽生えさせる。自然の生命を尊重してこそ、人間も生き永らえる。その相互の触発と和気のなかに、人と人との生命の絆が甦る。互いに支え、相容ればこそ、二本の葦束はすくっと立つ。彼あればこれがあり、これあれば彼がある。縁起を物語る、見事な例えである。」
・・・そのような意味から「おやど二本の葦束」と名付けられたこの宿は、その名の通り、人と人とによって創られた、上質な寛ぎの世界を具現化している。
まず、フロントに通されると、その何ともいえない空気に刺激される。木で作られた建物で、周辺に置かれている美術品は、まず日本のものではないと容易に想像がつく。それらが漂わす凛とした空気が、これからこの宿に身を委ねる期待感に変っていく。
宿泊用の離れは全部で10棟。それぞれに趣が異なる造りとなっており、別な言い方をすれば、10通りの楽しみ方ができるということだ。
「我不歳月(がふさいげつ)」は、堂々たる茅葺き屋根の離れ。盛岡の古民家を移築したもので、築200年を超える欅の家。8帖+8帖+リビングルーム+ベッドルーム+6帖+温泉風呂+土間+トイレ。中身は、一部2階建て(メゾネット式)の5ルームの和洋室となる。玄関の土間が魅力的。庭からは由布岳も眺めることができる。定員4〜7名。
「戸田邸」も、「我不歳月」同様、大きな離れで、築150年の新潟の古民家を移築したもの。その名の通り、戸田氏の邸宅だったもので、当時の優雅な暮らしぶりを彷彿させるものだ。8帖+6帖+リビングルーム+ベッドルーム+10帖+茶室+トイレ・・・の5ルーム2階建て和洋室となる。定員4〜9名。
「樹陰房(じゅいんぼう)」は、150年経た蔵を新潟から移築したもの。客室に見事生まれ変わらせた。2階からは由布岳も見える。10帖+8帖+箱庭+土間+温泉風呂+トイレ・・2階建て和室。定員2〜6名。
「春隣庵(しゅんりんあん)」は、囲炉裏のある茅葺き屋根の離れ。この宿で唯一の露天風呂付き客室。客室からは由布岳も眺められる。10帖+8帖+客室露天風呂+トイレの平屋の和室。定員2〜4名。
「雪行廊(せつあんろう)」は、与謝野晶子をイメージして造られた離れ。この部屋も由布岳が見える。10帖+8帖+箱庭+トイレの平屋の和室。定員2〜4名。
「洋館」は、元々、船舶の破材をうまく利用して造られたのがこの離れ。1階が洋室。2階が寝室の和室となる。大正ロマン漂うハイカラな雰囲気もある。リビングルーム+8帖+トイレの和洋室。定員2〜3名。
「心斎坐忘(しんさいざぼう)」は、昭和の良き時代をイメージさせる離れ。10帖+8帖+トイレの和室。定員2〜3名。
「烏兎庵(うとあん)」は、芥子色の壁が印象的な離れ。8帖+8帖+トイレの和室。定員2〜3名。
「漢」は、中国の窓枠を見つけてきて、そのイメージを膨らませて大陸の古民家風に造られたもの。7帖+6帖+トイレの和室。定員2名。
「再来(さらい)」は以前、バーだった建物を2007年に客室に改造したもの。地下のワインセラーがシアタールームに変身した。シングルベッド2台+地下のシアタールーム+トイレの洋室。定員2名。
「おやど二本の葦束」の敷地は、ゆるやかな傾斜地となっており、点在する離れを見れば、そこはひとつの村の形を成しているようだ。
温泉玉子の無料コーナーがあったり、展望台に行けば由布岳を眺めることもできるし、散策に疲れたら、「いより」もある。そのままの自然が残っているようなこの環境は、思い思いに歩けば、その季節により様々な顔を見せてくれる。
チェックインした際利用したフロント棟の2階は、ちょっとしたフリースペースになっており、コーヒーもセルフサービスでいただける。
食事処は「馳走庵」と名付けられている。建物は、新潟より築150年のものを移築したもの。食事処にはお座敷もあれば、モダンな個室ダイニングもある。ここで夕食、朝食ともいただく。メイン食材は由布院の野菜。
お酒も多種揃えられている。特に焼酎は種類豊富だ。自家製の果実酒もいい。
ここで夕食のメニュー(2007年12月取材)を紹介しよう。
前菜として、鱒と隼人瓜の博多、鮎の甘露煮、蒟蒻の黄金揚げ、鯖寿司、菊花蕪、零余子、平茸旨煮、鬼ゆずべっこう煮が出た。
田舎の煮物として、牛蒡、人参、椎茸、南瓜、大根、油揚げ、蒟蒻。
嶺岡豆腐。牛乳を使う豆腐でにんじんも入っている。
ほうれん草と春菊のうるか和え。うるかとは鮎の塩辛の事。
ここまでが、テーブルに着いた際にあらかじめ用意されたお皿だ。
次に出されたのが、山女魚の塩焼きに、焼百合根、そして、黒皮茸の旨煮。
そして、ここで待望の豊後牛ステーキが出た。肉は備長炭で焼いたもの。ソースはゴボウとバルサミコスを甘く煮込んだもの。えんどう豆と紅芯大根を添えて。
その後も野菜が続く。
根菜団子。中身はごぼう、にんじん、蓮根、里芋。これを白ゴマのあんかけでいただく。ふきのとうの揚げ物を添えて。
次が柿生酢。
最後は蒸し鍋をいただく。白菜、白葱、蕪、人参、地鶏、椎茸、豆腐、みぶ菜、南瓜が入る。
締めは、白米のご飯に、大分名物のだんご汁と、じゃこ漬物が付く。
デザートは、りんごのブリュレ。
このように見た目的にも気取った料理は出ない。8割がた野菜中心の献立だとお分かりになるだろう。
これもオーナー橋本律子さんのこだわりが見える。“野菜を食べんとおろいー(心根の悪い)子になるでー”が彼女の母親の口癖だった。繊維物をたくさん含んだ野菜にはカラダの毒素を出し尽くす作用がある。心をきれいにするには、まずカラダをきれいにする。母親の教えがこの宿の「おもてなし」となったわけだ。
朝食も同様に、野菜中心。朝寝坊には嬉しいことに、朝食のスタートは9時半から。
この日(2007年12月)のメニューを紹介すると・・・
大きな器は、玉子焼き、高野豆腐、ジャガイモのフライ、小松菜、セロリ、糸こんにゃくの酢の物など。その他、自家製あんかけ豆腐、トマト、赤キャベツ、玉葱、黄色にんじんのサラダ、大根おろしと納豆を和えたもの、ニラのポン酢和え、ブロッコリーとポテトサラダに、シャケの塩焼。そして、自家製のお漬物。果物はオレンジ、キウイ、イチゴ、パイナップル、柿など。
夕食後には、「Barバローロ」にてお酒をいただくことをお勧めする。ここは、以前の場所(現在の離れ「再来」)から移転して、2007年に改めて「Barバローロ」としてスタート。以前のバーと同様、ワイン、カクテル、ウィスキーなどお酒の種類も豊富だが、スペースも格段に広くなった。
そして、店内中央にある暖炉がなんとも印象的だ。
特にオススメは、このバーの名前の由来にもなった赤ワインのBARORO BUSSIA 2000(バローロ ブッシア 2000年)、BARORO BUSSIA MONFORTINO 1995(バローロ ブッシア モンフォルティーノ 1995年)など。
グラスワインでもいただけるのは、VITIANO 2005 や、MAROLO GRANBUSSIA(マローロ グランブッシア 1997年)などがあり、人気だ。
葉巻(シガー)も豊富だ。キューバ産の「コイーバ」は、ロブスト、シグロT、シグロU、シグロV。同じく「トリニダッド」は、フンダドレス、レイエス、ロブストエクストラなどが用意されている。ドミニカ産の「ダビドフ」は、アニベルサリオ3、グランクリュ2、グランクリュ5、スペシャルR、エントレアクト・・・などもあった。
「Barバローロ」には、2階フロアもある。階段を昇ると、そこにはもうひとつのスペースがあった。もちろんここでもお酒がいただける。ロフト型の造りも斬新そのもの。
カウンターで、このバーを仕切る佐藤健一氏とのおしゃべりも、思い出深い夜の出来事として記憶に残るに違いない。
ここでオーナー橋本律子さんのプロフィールを紹介しよう。彼女は大分生まれの小柄な57歳(2007年12月現在)。しかし、一目会えば、ひとまわり大きく見えるのは、そのパワフルな行動力、実践力に由来するオーラのせいか・・・。
由布院に「おやど二本の葦束」をオープンさせるまでには、彼女は様々な人生の波をかいくぐってきた。化粧品のOL時代にはエリアでトップセールスとなり、結婚を機に佐世保に引っ越す。そして、佐世保でライブハウスを経営していたのは23歳から36歳の間。佐世保の中でも一、二を争う盛況ぶりだったという。しかし、仕事に熱中するあまり愛想をつかされ、離婚となった。36歳当時の彼女は、愛する人を失い、今まで築きあげてきたものを失い、命を絶とうとした。それは、養護施設に今までの貯金をすべて寄付してしまったことの事実を考えても、相当の覚悟を決めていたようだ。しかし、命を絶とうとした時、亡き母の言葉を思い出した。「生きて長生きして恥をかくよりも、名を残す事が大切なり。」・・・と。「そうか、まだ私は何も成し得ていない。こんな事で大事な人生を捨ててどうする?」と自分に問いかけた。しかし、人生やり直そうと考え直そうとしても、手持ちのお金は1円も残っていない。
そんな中、実の兄弟からの誘いで、ここ由布院にて初めて宿の運営に携わることになる。37歳からの事だ。「ペンション多民族」という小さな宿は、知的障害者を雇い入れ、他の宿泊施設とは一風変った運営スタイルで、多くのリピーターを集め、これも繁盛させることに成功。
だが、これも実の兄から騙され、ここでも全てを失ってしまった。
しかし、この経営手腕に目を付けた某銀行の支店長が大型融資を提案。現在の敷地を紹介され、この「おやど二本の葦束」(当時は6ルーム)をスタートさせたのは平成7年になる。しかしながら、オープン直前にも関わらず保健所から営業許可が下りなかったり、他の旅館からは圧力を掛けられるなど、様々な苦難を乗り越え、なんとかオープンにこぎつけた。
しかしながら、由布院は皆さんもご存知のように、九州、いや日本屈指の温泉旅館の激戦区である。この狭い山里の敷地に130を超える宿泊施設が存在するのだ。
そんな中で、現在、由布院随一と言っていい客室稼働率を誇るようになったのは、オーナー橋本律子さんの類い稀なる才能と努力の結果だと推測できる。
今では、九州だけでなく全国各地からお客様がこの宿にやってくる。由布院の憧れの宿として、認知された結果だ。しかし、オープンしてまだ10年ちょっとしか経っていないにも関わらず、創業当時の建物は、もうほとんど残っていない。ある棟梁との出会いで、今までの宿の施設を一から作りなおしたいと思ったのだ。普通なら借金が返し終るまで、減価償却してからリニューアルと考えるが、橋本さんは違った。とことん、自分の納得する設えを求めたかったのだ。それは結局、日本中、数ある宿の中から「二本の葦束」を選んで下さる方に対して、恩返しの意味で、計画を推し進めてきた。
建てた順番は「樹陰房」、バー(現在は「再来(さらい)」)、「烏兎庵」と「心斎坐忘」、「我不歳月」、「洋館」、「雪行廊」、「春隣庵」、「漢」、「戸田邸」、そして平成19年にバーを離れ「再来」とした。
いずれも、ある棟梁が見つけてきた古民家などを移築再生したり、または新築してから、オーナー橋本さんの感性によるアレンジを施すといった手法で、珠玉の宿泊棟を完成させた。完成させてといっても、彼女にとってのゴール(完成)はないかもしれない。
常に新しいこと、お客様に感動してもらうこと・・・を日夜考えているので、結果的に毎年のようにリニューアルが図れているように思えてならない。
彼女の「感性」は、宿造りだけではない。いつからか、自分で洋服を作るようになった。それは「感性」のおもむくまま、布をハサミで切り、あっという間に思い通りの洋服を仕上げてしまう。驚くべきことに彼女は今までに服飾関係の仕事についたこともなく、誰かに教わったわけでもなく、まさに我流で現在の技術を身につけてしまった。さらに驚くのは、型紙を使わず、フィッティングもしないということだ。モデルにある人の身体を見ただけで、サイズはわかり、デザインも即座にイメージするという。
スタッフのユニフォームやドレス、そしてお客様用に置いてある部屋着なども、ほとんどが彼女のデザインだ。そして、その「感性」に満ち溢れたワンピースやバッグ、タオルなどは、宿で購入もできるようになった。
これらは通販も行っているというので、是非興味のある方は宿に問い合わせていただきたい。
橋本律子さんを一言で表現することはなかなか難しいが、その一端を紹介すれば、それは前述のように「感性」の塊のような人。その「感性」の結晶が「おやど二本の葦束」なのだ。その「感性」の中にどっぷり浸かって過ごす時間は、今までの宿で寛いだ時間とは全く違ったものと感じるはずだ。(J)