この宿が、「手塚旅館」の屋号で創業したのは、1954年(昭和29年)のこと。
もともとは、共同浴場と豆腐屋を営んでいたという。
旅館業は経済成長に伴って、業績は着実に伸びていった。
この頃は、団体旅行中心で、毎日のように宴会客で賑わっていたという。
しかし、バブル経済が崩壊すると、当たり前のように売上げが激減していく。
1988年(昭和63年)のピーク時に年間1億2,000万円以上あった売上げも、2001年(平成13年)にはおよそ半分にまで落ち込んだのだ。
この頃、現在の社長である手塚良平さんが三代目の社長に就任し、この宿の改革は始まることとなる。
ここ宮之城で生まれ育った手塚社長(昭和38年生)は、神戸の大学を卒業後、鹿児島市内のホテルで営業と宴会係を勤めはじめる。
3年間に及ぶ修行を全うし、大きな志を抱いて家業に戻ってきたのだが、目の当たりにするのは日々減少していく売上げという現実。
そして、この宿の将来に大きな不安を抱き、危機感を募らせていった。
旅館組合青年部の活動に従事していた手塚社長は、毎月のように全国各地の繁盛旅館を周り、その成功ぶりを勉強してきた。
テレビで放送される、“あこがれの宿”といった類の番組を見ては、自ら思い描く理想の宿と照らし合わせた。
そして手塚社長に、「もう団体旅行の時代ではない。個人客にシフトしなければいけない。」という確信が生まれた。

そして、父親の跡を継ぎ、2002年(平成14年)に三代目の社長に就任。
自分なりの旅館像をすでに想い描いていた手塚社長だったが、具体的にどう実現させていけばいいか迷っている部分があった。
しかし、ちょうどその頃に、黒川温泉の再生に携わった経営コンサルタントの存在を知る。
力になってもらいたいと考えた手塚社長は、すぐにアプローチをし、その彼からのアドバイスを受けながら、少しずつ“未来の設計図”を描いていった。
だが、館内や客室の改装となると、莫大な資金がかかる。
今までの業績もあって、銀行からの融資はなかなか下りなかったという。
ところが、2004年(平成16年)に入ると、手塚社長の熱い思いが通じたのか、ついに念願の融資が決定。
いよいよ本格的な宿のリニューアルを決行できることとなったのだ。
しかし、融資の決定した2日後に、皮肉にも手塚社長の父が他界してしまう。
三代目の成長した姿を見て、先代も安心してしまったのかもしれない。
まず、宿の外観を、一般的な“温泉旅館”というよりも、“田舎の一軒家”というイメージで改装した。
敷地内に於いては、ありきたりだった日本庭園をやめ、近隣の山に生えていた草木をバランスよく配置。外観との調和を図った。
さらには、接客サービスの質を向上させるために、24あった客室を18まで減らした。
館内のデザインは、数多くの個性的な宿を手がけている熊本の建築士・大森創太郎さんに依頼。
「餅は餅屋」と考え、コンセプトだけ大森さんに伝えた後は、ほぼ口出しせずに全てを任せたという。
そして、2005年10月に、「手塚ryokan」という屋号で、まさしく生まれ変わった。
新装したスタイリッシュなロビーやカフェ&バーは特にインパクトが強く、ここが鹿児島の片田舎にある宿ということを忘れさせてくれるようだ。
また、露天風呂付き客室や、貸切露天風呂を設けるなど、まさに個人旅行者向けの宿として完成しつつあった。
しかし、理想を追い求める手塚社長の改革は、ここで終わらなかった。
倍増した女性客のニーズに応え、岩盤浴とエステルームを新設。
2007年(平成19年)には、斬新な露天風呂付きデザイナーズルームを2室完成させる(106号室/103号室)。
さらに、2009年(平成21年)には、新たに2室をリゾートホテルのような設えにリニューアル(半露天風呂付きアジアンリゾート216号室/半露天風呂付きオリエンタルモダン215号室)。
この頃には、バブル期のピーク時と比べて、およそ1.5倍の売上げとなるほどで、県内有数の人気旅館の仲間入りを果たす。
今後も、鹿児島への新幹線乗り入れなど、遠距離の都会からの客も増えていき、更なる追い風となるだろう。
そして、2012年にも、一般客室の一部を“洋”の造りに改装する予定があるという。
「クルマと同じように、宿の部屋も飽きられることがある。8年周期で全てリニューアルをして行きたい」と、手塚社長は考えているのだ。
一泊10,000円以下の宿ばかりの宮之城温泉に於いて、この宿は高級旅館とカテゴライズされるかもしれない。
しかしながら、温泉風呂付きの客室で一泊2食付きでお一人様20,000円前後という料金設定は、かなり良心的だと感じられる。
しかも休前日のアップ料金なしというのも素晴らしい(一般客室のみ、時期によっては2,100円アップの黒毛和牛しゃぶしゃぶプランのみとなる)。
公式HPを見ると、宿泊プランは基本的になく、客室を選んでいただくシンプルなスタイル。
ただしお電話限定で、「アフターセブンプラン(月曜〜木曜限定)」というプランもある。
こちらは、19:00〜21:00のチェックイン、翌日15:00チェックアウトで、通常とほとんど逆の時間設定。
軽い夕食と通常の朝食、お昼の会席、岩盤浴、貸切風呂の利用が付き、お2人様ご利用時のお1人様料金は13,600円。
連休が取れない方、時間が無いという方には最高だろう。

また、公式HPからの直接予約では、以下3つの特典から、チェックインの際に1つ選ぶことができる。
@カフェ・バーでのお1人様500円ずつのドリンク券
A岩盤浴1回無料
B客室の冷蔵庫お一部屋1,200円分無料
Cチェックアウトの時間を12:00までに延長
良心的な宿泊料金ながら、予約特典も付け、さらに満足度は高い。
「このぐらいの料金でないと、私たちが泊まりたくないので・・・」と、手塚社長の奥さんである、専務のまゆみさんはおっしゃる。
まゆみさんは、鹿児島市内のホテルでフロント係をしていた時に、手塚社長と出会い、そのままゴールイン。
現在も、他のスタッフと同じように接客に勤しんでいるので、お客からすれば一人のスタッフとしてしか見られないかもしれない。
ここが、“温泉旅館の当たり前”と、少し異なっている。
女将として夕食時や、チェックアウトの時に挨拶するのではなく、あくまで黒子に徹しているのだ。
“お客様が主役”というこの宿の思想が顕著に表れているポイントとも言える。
ただし、接客のスタイルを見ていると、スマートなホテル型一辺倒ではなく、やはりどこか温かい印象がある。旅館の伝統的な“おもてなし”の精神は、決して忘れてはいない。
印象的だったエピソードが一つある。
取材時、強めの雨が降りだしたのだが、大浴場の利用に来ていた日帰りのお客(小さな赤ちゃんと2歳の女の子を連れた若い母親)は傘を持ってきていなかった。
少し思案して、駐車場まで走ろうとする日帰り客を、若い男性スタッフが見つけると、さっと駆け寄っていった。
そして、クルマまでずっと傘を差して、付き添ってあげていたのだ。
記者は、宿泊と日帰りのお客を区別してしまうような、ちょっと寂しい旅館も知っているだけに、ちょっと気持ちを温かくしてくれた。
数万円の宿泊料金を払ってくれる宿泊客だけでなく、地元の大人一人500円の日帰り入浴客も、分け隔てなく対応する姿は、当たり前だが、美しい光景ではある。
サービス業の原点を見る想いがした。
他のスタッフも若い女性が多いが、“誠実”とか“一所懸命”という言葉が似合う。
それも、手塚社長とまゆみさんが醸し出すアットホームな人柄、雰囲気がそうさせるのだろうか。
「お客様が感動してくださる姿を見て、私たちスタッフも、もらい泣きしてしまうことが多いんです」と、まゆみさんは、思い出し泣きをしそうになりながら語ってくれた。
これも、お客と「感動を共有」しているからこそなのだろう。
手塚社長は、「手塚ryokanは、いつまでも完成しない宿です」と言い切る。
今までの成功体験にこだわらず、時代のニーズに応える。そして、リピーターが訪れる度に新しい魅力が発見できる宿を目指し、日々努力をし続ける・・・といった意思表明のようだ。
日本全国には、この宿以上に洗練されたデザインを施した宿はあるだろう。
しかし、それは「何かを補うため」、個性的なリニューアルをしている宿がほとんどなのだ。
その第一は「温泉」にある。
「温泉」は、自然のものだけに、理想の量を使って営業できるわけではない。
源泉量の少なさをカバーするために、循環ろ過装置を導入する宿がほとんどなのだ。
だが「手塚ryokan」は違った。
温泉宿の主役というべき「温泉」が、豊富にあるという事が、実はこの宿の潜在能力の高さを証明しているのだ。
この宿の温泉は、「美肌の湯」の条件とされるアルカリ性であり、硫黄分を含む泉質は、トロトロの化粧水のような感触があり、まさに「極上の湯」と言っていいものとなっている。
それに加えて、個性的でありスタイリッシュであるハード面、サプライズと美味しさが同居する渾身の創作料理、岩盤浴・エステなどの女性向けのサービス・・・など、いくつかの面において、高スペックを維持しているわけだから、繁盛しないはずはないのである。
ここは、九州の有名な温泉地である由布院や黒川などではない。
「手塚ryokan」は孤軍奮闘しながら宮之城温泉の知名度を全国区にしようとしているパワーがある。
「ryokan」とあえて、アルファベットにしたのは、手塚社長夫妻が、自分たちが考える理想の宿を模索する意味でも、ネーミングしたのであろう。
その心意気、志が、ゲストに伝わり、この宿が繁盛旅館になったものと容易に推測できる。
先代の社長も天国で、この宿を見守っているに違いない。
日本の宿とは、世代がつなぐバトンリレーのようなもの。その受け継がれる意思(遺志)が強ければ強いほど、その宿は長年に渡って歴史を刻むことになる。
この宿もそうなるものと、確信できた取材だった。(J/IZ)