鬼怒川温泉は、栃木県の温泉地の中でも都心からのアクセスに恵まれている。
東京浅草もしくは、新宿から特急電車で、約2時間で到着できるからだ。
温泉の発見は、1752年とされる。古くは滝温泉という名前で、鬼怒川の西岸にのみ温泉があったという。
ここは日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉であったとの事。
明治時代になり、その滝温泉が一般に開放されるようになって、鬼怒川の東岸にも藤原温泉が明治2年に発見される。その後、水力発電所が完成すると、川底に次々と新泉源が見つかり、しだいに大規模温泉街の礎が整ってきた。
そして、1927年(昭和2年)に、滝温泉と藤原温泉を合わせて鬼怒川温泉を呼ぶようになった。
その鬼怒川温泉に「花の宿 松や」がある。
野趣溢れる鬼怒川渓流沿いに佇み、せせらぎの瀬音が耳に心地いい。
客室数は全67室。大型旅館・ホテルが建ち並ぶこのエリアでは、中堅どころと言えるだろう。
「花の宿 松や」の他に、四季の花懐石と日帰り温泉の「花茶寮」(相田みつを心の美術館も併設)、レストランも備える「日光竹久夢二美術館」、「日光人形美術館」など外部の施設も運営しており、「松や」のエントランスにあるボンネットバス「花と浪漫号」は、その施設の送迎に使われる。
「花の宿 松や」のロビーは和の宿らしく、落ち着いた雰囲気で、大きなガラスの壁からは、鬼怒川渓谷が一望だ。
宿の前を流れる鬼怒川渓流は、関東平野を北から南へ流れ、利根川に合流する一級河川。たまに氾濫を起こすことから暴れ川の異名も持つ。野趣溢れる渓流は、鬼怒川温泉の代名詞でもある。
鬼怒川沿いの庭園の池には錦鯉も泳ぐ。鬼怒川渓谷の清々しい風も吹きそよぐ。
そして、チェックインすれば、まずは温泉だろう。
男湯、女湯ともに広々とした内湯の大浴場と、外の鬼怒川沿いには露天風呂もある。
露天風呂から眺める風景は、四季折々に移る変わる渓谷美を楽しめ、さらに豪快な鬼怒川の渓流が間近に感じられ、まさに露天風呂の醍醐味を堪能できよう。
温泉の泉質は、アルカリ性単純温泉。美肌効果や、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動器障害、慢性消化器病などに効くという。
ここから客室のご紹介。公式HPではA〜Eまでの5タイプの客室が紹介されているが、当サイトでは、さらに2つ追加の7タイプの客室をご案内しよう。
人気の露天風呂付き客室は「松風亭」に4室、「松籟(しょうらい)亭」に2室ある。
公式HPを見ると、Eグレードの料金となる。
「松風亭」の間取りは、和室12帖+板の間(ソファーセット)+テラス+客室露天風呂+内風呂+T。
101号室「山桜」、105号室「雪椿」には、マッサージチェアも付く。
いずれも1階にあるので、鬼怒川の豪快な渓流を眺められ、客室露天風呂も源泉かけ流しだ。
「松籟亭」は、以前会議室だったところを客室に改装したもの。2008年5月に露天風呂付き客室と、展望風呂付き客室にリニューアルされたばかりだ。
露天風呂付き客室は、411号室と416号室。いずれも和洋室の間取りで、マッサージチェアも付く。
4階にあるせいで、鬼怒川を見下ろすような眺望が期待できる。
411号室は、琉球畳が敷かれた和室(6帖)に、板の間にはツインのステージベッド(ローベッド)が置かれている。
416号室は、6帖の和室に、ツインベッドの置かれたフローリング(洋間)の構成。
また、「松籟亭」には、川側に面した展望風呂を備えた客室が3室ある。Dグレード料金となる。
そのうちのひとつ、413号室の間取りは、和室6帖+板の間+ツインのステージベッド(ローベッド)+展望風呂+T。ただし、残念ながら、展望風呂は温泉ではない。
特別室タイプの616号室「寒椿」は、「松籟亭」413号室と同じグレードの客室。こちらは、大きな窓が特長的な見晴らしのいいニ間続きの角部屋となっている。間取りは和室10帖+ツインベッドの洋室(4.5帖)+板の間+BT。716号室も同タイプだが、ベッドなしの和室となっている。
この宿で一番高価な客室は、貴賓室603号室「黄梅」だ。
間取りは和室12.5帖+3帖+角部屋のリビングルーム+ツインベッドの洋室+BT。
VIP専用の客室と言えよう。
グレードとしては、DタイプとCタイプの中間に位置するのが、316号室「日光黄萱(きすげ)」。
大きな窓が特長的な見晴らしのいいニ間続きの角部屋となっている。2名で宿泊した場合、和室に布団を2つ敷くか、ベッドと布団と別れて寝る方法と選択できる。
間取りは和室10帖+シングルベッドの洋室(3帖)+板の間+BT。
601号室「白梅」、501号室「待宵草」はCタイプ料金となる。ここは、角部屋なので開放感たっぷりの和室となっており、鬼怒川渓流が一望で滝つぼも見える。ちなみに、「白梅」は相田みつをさんお気に入りの部屋だったという。間取りは、和室10帖+板の間+BT。
また、角部屋ではないが、711号室「枳殻(からたち)」も同じCタイプ料金。
7階の最上階にある、広々とした和室で、間取りは、和室15帖+板の間+BT。
Bタイプ料金の間取りは、和室12.5帖+板の間+BT。
一番リーズナブルなAタイプ料金の客室の間取りは、和室12.5帖+BT。
A、Bタイプとも、落ち着いた標準的な和室。窓から見える渓流と山肌の緑の眺めもいい。
ちなみに一般客室のBタイプは全部で12室、Aタイプは11室用意されている。
ここで夕食のご紹介をしよう。基本的には部屋食か、食事処を選択することになる。
今回のメニュー(2008年9月上旬取材)は宿泊料金25,000円のもの。
食前酒はオリジナルの「夢二ワイン」の白。
箱膳には、三陸産の蒸し鮑の霙和え、車エビのせの湯葉豆腐、蟹の菊花和え、秋鯖の養老掛け(とろろがけ)、そして、ほのかな甘さとみずみずしさを楽しめる梨の白和え。
造りは、天然鯛洗い、本マグロ、車海老、そして地元で養殖している八汐鱒。
煮物は、京野菜の賀茂茄子、南瓜、日本海の蛸の柔らか煮、レンコン、サヤエンドウに木の芽が添えられていた。
温物は、小鍋仕立。鱧、松茸、豆腐、水菜、葱が具となる。スダチも添えられていた。この日の鱧、松茸は季節柄、外国産だった。
焼物は、鮎の共肝漬とアスパラの油焼。「共」とは和食の料理用語で、ひとつの具材の異なる部分をいっしょに調理したもの。今回は、アユの卵の塩辛に漬けたものを焼いた。
強肴は、冷し茶碗蒸し。フカヒレ、アワビ、海老、椎茸などが入っていた。
揚物は、石垣真薯(エビしんじょうの事)、和牛ヒレ霰(あられ)揚げ、京野菜の万願寺青唐、ヤングコーン。
締めはご飯と冷汁。冷汁とは、ゴマ、味噌、煮干し、豆腐、ミョウガ、キュウリをすりつぶしたもの。ご飯にかけても、別々にいただいてもOK。
水菓子は、抹茶ムースと巨峰。
料理長のこだわりは、季節の旬のものを使う、しかも地産地消を心がけ、特に山でとれる素材を多めに・・・という。彩りも美しく、もちろん味も申し分ない。
「松や」の朝食は、夕食同様、手を抜かない。焼魚は、かますの開き。豆乳豆腐は朝にはぴったりの料理だ。生野菜は、レタス、ミニトマト、ワラビ、コーン。皿盛りには、焼きベーコン、スクランブルエッグ、(地元産)湯葉の煮びたし、筑前煮、蛸おくら、ピーナッツの紫蘇巻、梅なめ茸、素麺蒟蒻(鹿沼産)。
ご飯の他に、しらすと梅のふりかけされた茶がゆもいただける。しじみ汁も美味しい。
売店でも購入できる、ゆずとハチミツのジュース、ヨーグルトも用意されていた。
この宿の館内でのちょっと息抜きするには、コーヒーラウンジ「花かんざし」がオススメだ。女将コレクションによる竹久夢二の絵に囲まれた喫茶コーナーで、大正浪漫の雰囲気たっぷりだ。
ロビーすぐそばには、コーヒーコーナー「夢二亭」もある。
また、「松や」には、エステルームはないが、足裏のリフクレクソロジーはある。
日本国内、海外から人形を集め、夢二の大正浪漫の世界を愛し、そして相田みつをを師と仰ぐ、鬼怒川温泉きっての名物女将といえば、「花の宿 松や」の女将・臼井静枝さん。
彼女のコレクションは、宿以外に3つの美術館を造ってしまった。
「花の宿 松や」には、コーヒーラウンジ以外にも竹久夢二の絵が、様々なところで目に入る。
館内全体が、夢二ワールドと言っていいくらいだ。
壁面やガラスの展示コーナーだけではあき足らず、エレベータの扉にも夢二の絵が描かれている。
女将の相当な夢二好きがこれで分かるというもの。もちろん特注で作られたもので、後で請求書が届き、ご主人(社長)に相当叱られたというお話も聞いた。
そして、遂に宿からクルマで7〜8分ほどの距離に「日光 竹久夢二美術館」を誕生させてしまった。
大正時代、純粋に夢と浪漫を追求した画家・竹久夢二。その独特な画風と世界観に魅了された女将が集めた原画を展示した美術館がここなのだ。
手がけた装丁本や挿絵の展示の他、肉筆の手紙なども展示している。また、館内には売店もあり、夢二に関するグッズ関連はそこで購入できる。さらには、和洋レストラン「花むらさき」、ゆば懐石料理「椿庵」もあるので、鑑賞後の食事もいいだろう。
多くの温泉宿を泊まり歩いている方はお気づきだと思うが、最近、相田みつを(1924-1991年)氏の書を飾る宿が多い。相田みつを氏は、栃木県足利市出身の書家。
宿のオーナーが、相田みつをファンだからこその現象ではあるが、この「花の宿 松や」にもご多分に漏れず、相田氏の書がひっそりと飾られている。しかし本当はひっそりどころか、近くにある同旅館経営の日帰り温泉施設付きの料亭「花茶寮」の中に「相田みつを心の美術館」をオープンさせている。
「花茶寮」は、宿からクルマで3〜4分ほどの距離にある。個室のお座敷でいただく懐石料理は絶品だ。
さらに露天風呂付きの温泉風呂もあるので人気も高い。
その施設内には、「人間だもの」「生きててよかった」など、現代人に強く訴える大きなパワーを持った書が、所狭しと展示されている。
実は、今は亡くなった相田みつを氏が晩年常宿にしていたのがここ「松や」だったのだ。
1970年代後半、全館満室の際に相田氏が予約もせずにフラッとこの宿に寄ったことから端を発する。その頃はまだ現在ほど有名とは言えない時代だったので、本人とは分からず(本人と分かっても満室だったわけだが)丁重に女将がお断りしたそうだ。
しばらくするとその日夕方遅くにまた訪ねてきたという。すると偶然にキャンセルの客が出て、相田氏を迎え入れられることができた。その時は平日で近くの旅館があればなんとか入れたはずなのに、再びまた「松や」に来てくれたという縁を女将は感謝した。
女将はその方が相田みつを氏ということは後でわかったことらしいが、それがきっかけで彼は「松や」を気に入り時間があればこの宿をひんぱんに利用するようになった。
そんな中で相田氏が世に出るようになってから、たまに秘書的な事もお手伝いするようになった関係で、世に出ていない幻の相田氏の書も彼女は所有しているらしい。
「夢二さんみたいに館内にたくさん先生(相田氏)の書を飾ったら、天国に行って怒られるかもしれないから」と言って、女将は笑った。世に数百万人いるという相田みつをファンにとっては、ぜひ見てみたい気もするが、まだそれには少し時間がかかりそうだ。
そして、宿からすぐ近くにある「日光 人形の美術館」も見逃せない。
市松人形、ひな人形、ビスクドール、リヤドロ、そして現代の創作人形が一堂に集められている。
人形たちには、それぞれ作られた時代の背景や文化なども感じ取れる。今にも動き出しそうなリアルな人形もあった。館内には450体以上の人形が展示されていたが、女将さんの臼井静枝さんがモデルと思われる人形もある。
おみやげは、売店「花ごのみ」で購入できる。
この宿オリジナルのお土産から、鬼怒川温泉ならではものまで、多くの種類の品物が並ぶ。
オリジナル菓子は「しっとり胡麻あん」は、この宿のお茶請けにも使われているお菓子。
同じくオリジナルの「宵待草」粒餡入り手折り餅。大正浪漫を代表する画家・竹久夢二の詩のタイトルを名前に付けた。「夢二せんべい」は、バニラクリームをはさんだ洋風せんべい。
その他、日光・鬼怒川のお菓子の定番は、「ふる里のあけび」「きぬの清流」。
「しその実きくらげ」も人気商品。
竹久夢二の木版画も販売されていた。
また、夢二のマグカップとコーヒーカップなどもあった。
その他、オリジナルの「柚子みつ」、吟醸生貯蔵酒「花の宿」や、オリジナルワイン「花の宿」などもある。
ワインのラベルは夢二の代表作「黒船屋」がデザインされていた。
鬼怒川温泉といえば、足利銀行の破綻から産業再生機構による支援を受けている老舗温泉旅館(ホテル)が多く、実際にオーナーが交替しているところが目立つ。
それまでのバブル期に必要以上の設備投資をし、バブル崩壊後の少人数旅行主体のスタイルに移行した際に、時代の流れに着いていけなかったというわけだ。
ところが、銀行破綻の影響をほとんど受けず、いまだに繁盛旅館として君臨している宿がある。
その宿の名は、今回ご紹介する「花の宿 松や」。
堅実経営を旨とした現社長の手腕はもちろん見逃せない。バブル当時、鬼怒川温泉の大手ホテルはどんどん大きくなった。「松や」にも銀行から融資の誘いがあったが、彼は「近い将来、大型ホテルは破綻する」と予言し、融資の誘いに乗らなかった。そのおかげで、生き延びることができたというわけだ。
そして、裏方の仕事はご主人である社長に任せ、フロントランナーとして常に客に相対する名物女将の存在が、この宿のキャラクターを作り上げてきた。
この2人の二人三脚によって「花の宿 松や」は生き残ったのだ。
女将は臼井静枝さん(昭和13年9月生まれ)。
出身は栃木県今市。使用人のいる豊かな農家に生まれた。
昭和37年に結婚するわけだが、当時ご主人(現・社長)は旅館の経営には携わっておらず、学校で教鞭をとっていた。創業者である先代が、どうしても息子(現・社長)に跡を継いでほしいと懇願したが、彼は首を縦に振らなかった。
というのも、当時、屋号も「松屋旅館」(昭和32年創業)と言ったが、13室程度の雨漏りや隙間風の吹くような、粗末な宿だったという。
ちなみに屋号の「松屋」とは、このエリア一帯が、松林に覆われたところから取ったという。
なかなか、うんと言わない息子はあきらめ、先代は、今度は嫁である静枝さんに対して、宿を継ぐように言ってきた。
そんな矢先、静枝さんは、川べりで母が子に語りかけて今にも自殺するかのような、竹久夢二の一枚の絵に出会った。その絵に感動し、そして勇気をもらって人生観が変わり、宿を継ぐことを決心する。
そして、ご主人も渋々同意し、二人でなんとか大手に肩を並べるいい旅館にしようと決心したのだ。
二人が経営に携わると、動きは早かった。
昭和39年には、33室まで客室数を増やした。
そして昭和57年には、全面建て替えを実施し、現在の形に近い、60室規模の堂々たる規模になった。
そして、平成3年に相田みつをさんが亡くなり、その2年後の平成5年7月に「相田みつを心の美術館」(花茶寮)を造った。
平成10年10月には、「日光 竹久夢二美術館」。
平成17年5月には、「日光 人形の美術館」を落成させた。
これら3つの施設は、宿の周辺にあまり観光名所が少なく、温泉以外でもいろいろと楽しんで帰っていただきたいという女将の思いから生まれた。
宿にも、もちろん少しずつ手を加え、すでに露天風呂付き客室として人気のある「松風亭」のほかに、平成20年には「松籟亭」を完成させ、さらに好評を博している。
女将さんは、常に着物を身に着け、時間がある限りチェックイン時には、ほとんど毎日のように客に挨拶をする。夕食時にもそうだ。そんな女将でも部屋食の客の場合には顔をださない。プライバシーを守りたい客との線引きは常に考えているのだろう。
こんな女将さんは、昔は多くいたようだ。ところが時代が変わって団体旅行から個人旅行中心にシフトしてきたこの時代には、このようなスタイルは少し古臭く感じる方もいるだろう。しかしながら、この宿を訪れるリピーター客のほとんどが女将目当てという事実もここにはある。
女将は館内を常に目配りして歩く。すれ違いざまに常連客に会うとまた話がはずむ。
驚いたのは私が取材をやっと終えた夜11時頃、大浴場に向かおうとしたら昼間と同じ着物姿の女将に廊下で会った。
「まだお仕事は終らないのですか?」と聞くと、「まだこれから事務所に戻ってお客様に礼状を書くんですよ。」と言う。
え?たしか女将は朝早くからチェックアウトの客にも挨拶をしているはず。いったいいつ寝てるんだと驚きを感じたが、「私は4時間も寝れば大丈夫なのよ。」と平気でおっしゃる。
「私は万年、38歳なのよ。」とも。
失礼ながらもうお年もそんなに若くはないはず。しかしながら、常に客と接することが何よりも楽しみで、何よりも生きがいなのだろうか。
そんな女将を見ていると正直羨ましくも感じた。こんなに心底自分の仕事が好きな方を久々にお会いしたような感じがして・・・。
印象的だったのが女将の言葉−「私はあの世に行っても、また主人と結婚して、また松やの女将をやるの。それが私の夢なの。」
いつまでも現世で「花の宿 松や」の女将さんを続けて欲しいと思わずにいられない。
国土交通省は、接遇業務の総括責任者である女将の役割が重要視されていることから、長年旅館業務に従事している者で、その成績が優秀かつ他の模範となる女将について、新たに国土交通大臣表彰を行う制度を創設することとした。彼女は、旅館女将の国土交通大臣表彰の栄えある第1回受賞者として選ばれた。2005年(平成16年)のことだ。
さらに、地域振興の業績を評価され、2006年には、旅館の女将としては全国では初めての「黄授褒章」を受賞したことを付け加えておく。(J)