JR水上駅より車で約5分ほどの距離にある「谷川温泉」は、谷川岳の雪解け水を運ぶ南麓の清流「谷川」沿いに湧く温泉である。今から600年ほど前に開湯した小規模な温泉地ではあるが、谷川岳の信仰登山の玄関口として知られていたので、明治19年刊行の「日本鉱泉誌」には「湯戸一浴客700人」と記述されているように、奥利根エリアで最も賑わっていたそうだ。また、大正から昭和初期にかけて、若山牧水、太宰治、川端康成などの文人が足しげく通った記録も残されている。水上の発展とともに発展を続け、現在では登山基地から観光温泉へとその役割を変えているものの、自然と一体化した落ち着いた雰囲気は今も色濃く残されており、ファンが多いことで有名である。
「谷川温泉」周辺は「上信越高原国立公園」内にあるので、手付かずの自然が今も多く残されている。ラフティング・カヌー・パラグライダーなど自然の中で楽しめるレジャーが充実しているのもそのためだ。また、「谷川岳」より流れ出る「谷川」は、上流にダムがひとつもない清流。そのため、本当に綺麗な水の中にしか生息しないといわれる「岩魚」、「山女」、「河鹿」などの川魚を釣ることができるので、禁漁が明けると多くの釣り客が訪れることでも知られている。
「谷川温泉」にある4軒の旅館のなかで最も歴史がある旅館が、これからご紹介する「金盛館 せゝらぎ」である。明治時代よりこの地にあった「金盛館」という旅館を買い取り、あえて宿名を変えずに現社長の祖父の姉夫婦が大正2年に創業させた。多くの文人歌人が訪れたことでも知られている。大正7年の11月には歌人の若山牧水が訪れ、このお宿をいたく気に入り「わがゆくは山の窪なるひとつ路 冬日光りて氷たる路」と、お宿までの道のりを自筆歌として残した。これは、現在もロビーに飾られている。
このお宿の一番の自慢である「谷川沿いの混浴露天風呂」が造られたのは昭和30年代。ちなみに現在は「河川法」が施行されているために、川沿いに新たな建造物を造ることができないそうだ。その後、平成3年に改築を行った際に、谷川沿いの旅館であることが一目でわかるよう、「せゝらぎ」という4文字を宿名に加える。現在の姿になったのは平成16年の改装後である。長い歴史を物語るように、現在は4代目の須藤温(みつる)氏とおかみの美由貴さんが旅館の運営を担っている。
館内に足を踏み入れて左手に、スリッパが並べられ、灯りの燈った下駄箱がある。以前、宿泊客から「誰が履いたのか分からないスリッパは履きたくない」という意見が寄せられた際に、それなら消毒すれば良いとの解釈で、スリッパを殺菌灯で常時消毒しているのだ。チェックイン時に驚かされるのは、その清潔なスリッパがサイズ別(S・M・L・子供用)に整然と玄関に並べられている点だ。こういった細やかな配慮が非常に嬉しい。チェックインを済ませた後、客室へ向かう前にはロビーに立ち寄ってほしい。高天井で開放感あるロビーは、インテリアや細部の設えにふんだんに木が使われた暖かい空間。また、大きく配された窓からは春夏秋冬、魅力溢れる大自然を間近に感じることができる。併設されているラウンジで、コーヒー、紅茶、オレンジジュース(各\400)を注文し、一服するのも良いだろう。
客室は全部で22室あるが、タイプ別に考えると5種類に分けることができる。 露天風呂付き客室はロビー階に「桐」、「かや」の2部屋がある。それぞれの部屋には赤と青、色違いの信楽焼の湯舟があり、そこに源泉100%かけ流しで温泉が注がれている。四季折々の表情を見せる山と、空のコントラスト、そしてせせらぎの音、運がよければ谷川を挟んだ対岸に「ニホンカモシカ」などの野生動物が姿を見せることもあるそうだ。間取りは、ともに和室12.5帖+和室6帖+椅子とテーブルが配された広縁だ。
平成16年の改装後に登場した部屋が、2階の「こぶし」と「もみじ」だ。和紙で作られた畳の本間に続き、マッサージチェアや暖炉が配されたリビング風の竹材の間が広がっている。また、大窓が配されており、間近に迫る木々を感じることができる。素材へのこだわりと同時に、自然との調和が図られた客室である。間取りは和室10帖+リビング8帖だ。
間取りが和室10帖+6帖+4.5帖の客室は3階に4室ある。テラスが配されていて、大自然から吹いてくる風を全身で感じることができる。また、部屋を障子や襖で区切ることができるので、大人数での旅行に最適の客室だ。
せゝらぎタイプの客室は2階に8室。10帖の本間の他に、テラスと冬場は掘りごたつになる3帖のスペースがある。間取りは和室10帖+小部屋3帖。
かじかタイプの客室は3階に3室。和風旅館のオーソドックスな造りだが、逆に落ち着くと言うリピーターの宿泊客が多いそうだ。間取りは和室10帖+広縁。
共同で利用できるお風呂は館内に3つある。男女別に設けられた大浴場には、それぞれ内湯と露天風呂が付いている。内湯の湯舟は、群馬県南部が産地として有名な「三波石」を用いた石風呂と「檜風呂」の二種類。源泉100%掛け流しの同じ温泉が注ぎ込まれているが、湯舟が違うとまた湯浴みのひと時の雰囲気も変わるので、できるだけ長湯をしてほしい。内湯から外に出ると檜の露天風呂がある。谷川岳から木々の間を吹き渡る風を感じながら楽しむ湯浴みもまた趣き深い。ちなみに脱衣場の脱衣入れには、前述したように他人のスリッパをはいてしまわないように「スリッパ入れ」と「メガネ入れ」が設けられている。ちょっとしたことではあるが、こういった心遣いは非常に嬉しい。
大浴場での湯浴みの後には、入り口横の飲泉所に足を運びたい。動脈硬化症や高血圧症など様々な効能があると言われているので、体の内側からも温泉を浸透させることをおすすめしたい。
脱衣場のスペースが狭いため、大浴場前の廊下や隣の部屋がマッサージコーナーとして開放されている。マッサージ椅子や足ツボマッサージ機などを無料で使用することができる。
「金盛館 せゝらぎ」のなかでシンボリックな施設と言えば、昭和30年頃に谷川に沿って造られた渓流沿いの混浴露天風呂「せゝらぎの湯」だろう。1階でサンダルに履き替えて外に出、野草や木々の中を抜けていくと目の前に現れる。谷川岳から川に沿って流れる風、四季折々に様々な表情を見せる山、せせらぎの音、川を流れる水など、その全てが手に届く範囲にある。大自然と一体化して湯浴みが楽しめるこのお風呂には、必ず入ってほしい。なお、混浴なので入りたくても入れない(バスタオル着用不可)とお思いになられる女性もいるかもしれないが、午前7:00〜10:00の間は女性専用の時間帯になっているので安心だ。
これらの温泉の泉質は「単純温泉(弱アルカリ性低張性温泉)」。名湯に多いといわれる泉質をもつ温泉には、じっくりと時間をかけて浸かってほしい。
ここで取材時(2008年4月)に出された夕食の紹介をさせていただく。
夕食は、人数によって部屋食になる場合もあるが、基本的には1階にある食事処でいただくことになる。食事の際には種類豊富に取り揃えられたお酒を注文するのも良い。「久保田」や「八海山」などの日本酒から「コートデュローヌ」、「キャンティ」、「シャブリ」などのワイン類まである。お酒が好きな方には堪らないラインアップだ。
「卯月(四月)のお献立(\20,100)」と命名されていることからも分かるように、このお宿の料理の献立は月代わり。群馬県産の新鮮な山の幸や、料理長やスタッフが山に入って採ってくる山菜などがふんだんに盛り込まれた料理が味わえる。また、この料理を目当てに年に何度も訪れるリピーターのお客さんも存在するそうだ。
最初にテーブルに並んだのは「食前酒」と「焼き山菜」。「食前酒」は、女将さんが見つけた、ビタミン類やβ-カロチンなどの栄養素(カロチノイド)が多く含まれたドイツ製のフルーツワイン「マルチ・ヴィタ・ヴィーノ」。少しドロッとしているが、口の中全体に広がるフルーティな味わいは、特に女性から好まれそう。雪解けとともに、地元群馬県の山々で顔を見せる旬の素材を用いた「焼き山菜」。シンプルに焼かれた「筍」、「山独活」、「たらの芽」、「こごみ」、「かぼちゃ」、「エシャロット」がその内訳だ。「唐辛子塩」、「アンチョビ味噌」、地元特産の「清七味噌」を作る際の上澄みを用いた「たまり醤油ドレッシング」を好みに合わせて付けていただいた。
肉料理は、「国産牛のフィレ肉」、「芽キャベツ」、「インゲン」、「人参」、「じゃがいも」を、目の前の陶板で焼き、わさび醤油でいただく。入手できた際には、群馬県のブランド牛「赤城牛」を用いることもあるそうだ。
お造りは、奥利根の清流で育てられた「奥利根鱒」と築地から仕入れた「鯛」が、「菜の花」や食感がおもしろい「ソルトリーフ」とともに盛り付けられていた。
煮物は、沼田市の豆腐店から仕入れた「湯葉」と「人参」を嬬恋産の「春キャベツ」で巻いたものと、「筍」の煮物が出された。
焼き物には、オリーブオイルと塩を少し入れ作られた「青海苔餡」が掛けられた「鰆」が出された。口の中に広がるほのかな磯の香りが印象的な一品。
椀物は、「小茄子と芹の白味噌仕立て」。程よい甘さが残る白味噌で仕立てることで、味噌の濃厚さが強調されておらず、女性に好まれる優しい味わいだった。
揚げ物は、地物のしいたけに群馬のブランド鶏「赤城鳥」のひき肉を詰めたもの、蓮根、オクラ、グリーンアスパラの天ぷらが並んだ。旬の素材の味が素直に活かされていた。
蒸し物は、三陸に住む親族から送ってもらう若布を用いて作った「若布豆腐」。木の芽が天盛りにされているので、蓋を開けると香りが充満する。
酢の物は、地物の舞茸、胡瓜、ホタルイカの酢味噌和えに、クコの実が添えられた一品。
お食事は、土鍋で炊き上げた白米をどんぶりによそい、その上に、刻みわさび、三つ葉、あられ、塩昆布、鮭、梅を乗せて、出し汁をかけてお茶漬けでいただく。おなか一杯だったとしても、さらさらとかきこんでいけるだろう。
デザートは、新潟から仕入れたわらび餅に、群馬県産の苺とバニラアイスが添えられていた。
翌朝は、山の幸がふんだんに盛り込まれた、ヘルシーかつバランスのとれた献立の朝食が並ぶ。すったゴマの中に野菜の味噌汁を注ぐ群馬の郷土料理「ちぎりっこ」、能登産の塩で食べる「ざる豆腐」、「納豆」、「玉子焼き」、「花豆」、「山菜の煮物」、「鮎の一夜干し」、「岩のり」、「サラダ」、「フルーツの盛り合わせ」などが並んだ。朝食もしっかりいただいて、帰路のエネルギーを蓄えたい。
この宿の周辺には、いわゆる歓楽街が無い。山の風情がたっぷり感じられる地域なのだ。そのため、この地を訪れる人々は静けさを好み、ゆったりと過ごすことを目的にしているようだ。
ただし、館内に目を向けると立ち寄りたくなる施設が多い。
2階にはエステルーム「御遊(ぎょうゆう)」がある。おかみさんの同級生がエステティシャンを勤めているこのエステは、パリで評判となっている技術に谷川温泉の源泉力を組み合わせて生み出したオリジナルメニューもあるそうだ。営業時間は15:00〜22:00(最終受付は18:00)、予約が必要となるので、希望する方はフロントで予約を取ることを忘れないでほしい。なお、毎週月曜日は定休日となっている。
食後もう少しお酒が飲みたい方は、ラウンジから行くことのできる「スナック岳」へ足を運ぶことをおすすめしたい。二次会の会場として最適だ。
その他にも、1階には書籍も置かれている「絵本コーナー」や3階にある「ポケットギャラリー」を訪れるのも良い。どちらも落ち着いた空間に仕上がっているので、ゆったりとした時間を過ごすことができるだろう。
チェックアウト前には、ロビーにある売店へ立ち寄ることをお忘れなく。「温泉まんじゅう」をはじめとする銘菓だけでなく、地元の名工が作った焼き物やオリジナルの化粧品、山ならではの「熊の油」のようなお土産品が各種取り揃えられている。必ず思い出に残る品を見つけることが出来るので、じっくり品定めをしてほしい。
前述させていただいたが「金盛館 せゝらぎ」は、4代目社長の須藤温(みつる)氏とおかみの美由貴さんが運営を担っている。最近、和服を着用したおかみさんを見受けることが少なくなってきているが、彼女は常に和服を着用し、ピシッと決めた姿で訪れる客を出迎えている。このような書き方をすると「古風」という印象を与えてしまうかもしれないが、実際には元気と明るさが評判の魅力的な方だ。テキパキと仕事をこなし、人当たりも良い。そして、趣味にも活動的。周囲をパッと明るくするようなおかみさんの人柄に惹かれてしまうのはお客さんだけでなく、スタッフも同様。楽しそうに働くスタッフの姿に館内の至る所で出会うことが出来るのもこのお宿の魅力のひとつだろう。また、公式ホームページにはおかみさんのブログがある。日常の些細なことが書き込まれたこのブログにもおかみさんの魅力が滲み出ているので、興味を持たれた方はチェックしてほしい。
大事なパートナーとの旅には、やはり露天風呂付き客室がオススメだ。いや、年老いた親を連れての孝行旅行にもいいかもしれない。永年連れ添った伴侶との温泉旅行にもこの客室はしっくりくる。その一方で、大人数に対応した一般客室もこの宿にはある。昔から変わらない風景が今も残されている土地なので、古きよきものを子孫に伝えるという意味で、3世代旅行などで訪れるのも良い。もちろん、レジャー目的のグループにも最適だ。
この宿のシンボルである「せゝらぎの湯」が混浴である理由。それは、性別に関わらずリピーターの宿泊客から「他の宿泊客と自然と話したくなる雰囲気があるから、混浴のままが良い」という意見が多く寄せられていることに関係している。昔からこの露天風呂は、様々な目的で訪れた宿泊客同士が、森林浴と温泉浴をいっぺんに楽しみながら、自由にコミュニケーションが取りあえる場所なのだ。こういった雰囲気に自然と溶け込んでしまえることが「金盛館 せゝらぎ」の人気の秘密なのだと思う。(J/NS)